「英霊の言乃葉」
~社頭掲示集第一輯 105頁 (編集 靖国神社社務所)
<ハワイ作戦の首途に遺す>
海軍飛行兵曹長 長井泉命
昭和十六年十二月八日
真珠湾にて戦死
熊本県下益城郡中央村出身
二十歳
ハワイ作戦の首途(かどで)に当り、一筆書き遺(のこ)し候。
我れ国家の為に死す。男子と生まれ、皇国に生を享(う)け、しかも軍人として屍(かばね)を戦場に露(さら)すことは軍人の本望(ほんもう)である。
希(ねがは)くば、われなき後は弟、洋を以て立派なる帝国軍人となし、国家の守りに立たせ給わんことを。
この度の戦(いくさ)、一挙にして終わるべきにあらずして、東洋平和確立までには、幾星霜(いくせいそう)かかるやも計り知れず、この覚悟決してお忘れあるまじく、この世に生をうけてから二十年余り、慈愛の胸に抱かれ、何一つとして不自由な思ひをしたこととてないわがまゝばかりを申して今日まで心配をかけてまゐり、一度の親孝行のまねごとさへ出来ず、老後の面倒さへも見ることもあたわずして、先立つことは何よりも心残りに存じてゐます。
然(しか)れども国家存亡の秋(とき)にあたり、私情を云々することあたはず、皇国君恩の万一に報ぜん時、かねて父上よりの教訓、国家の為に死することこそ最大の親孝行なりといふことを銘記し、必ずやこれといふ勲功は立てずとも、決して他人に遅れはとらぬやう最後の御奉公を致す覚悟です。
されば何卒先立つ罪はお赦(ゆる)し下されたく、御両親におかれても、既に私亡き時の覚悟は充分あられることゝは信じて居りますけれど決してお嘆(なげ)きあるまじく、もし報入りなば、先ず倅(せがれ)よくやったと、お褒め下され度(た)く、特に母上には身体も病弱故、お嘆きのあまり寿命を短(ちぢ)められるやうな事があればなほ一層のことわれ重ねて親不孝ともなります。
身はたとへ 太平洋に 水漬(みづ)くとも 留め置かまし 大和魂
今更に おどろくべきも あらぬなり かねて待ちこし この度の旅
父上、母上様
泉 拝