三浦半島の海沿いを歩いてみる散歩旅の続きです。
今回は浦賀から城ヶ島を目指し、5回に分け散歩します。
⑧浦賀から京急久里浜
浦賀駅から西叶神社を経由して燈明堂へと向かいます。
途中の造船所跡や奉行所跡にも寄ってみます。
しばらく歩き、千代が崎砲台跡へ。今は土日祝のみ公開でした。
ここまで猿島、走水に続き、ここ千代が崎にも砲台。東京湾の防衛砲台は多重でした。
燈明堂跡。
観音崎にコンクリの立派な洋式灯台ができるのは明治2年頃。
それまでの約200年はこの和式木製の燈明塔が灯台役割を果たしていました。
ここは綺麗な浜も有り、車やバイクも結構いましたが、
何故か浜には長居はしたくない寂しい雰囲気でした。
しばし歩いて久里浜海岸へ。
名前の近い千葉の九十九里浜から想像したより小さい海岸。
道路を挟んでペリー公園が有ります。
ペリーが来る7年前に来たビッドル提督はジェントルマンでしたが、江戸開国交渉に失敗していたため、
新たに日本の開国命を受けたペリーは、不退転の決意で威嚇強引手法で幕府を脅します。
もともとペリーは、乗船員にも家族にも好かれなかった性格だったようで、適材適所の人事だったのでしょう。
京急久里浜駅へ歩いて帰路につきました。
⑨京急久里浜駅から京急長沢駅へ
今回はまず、京急久里浜駅からフェリー乗り場へ。
久里浜フェリー乗り場
ここから千葉の金谷まではフェリーで40分で行けます。
2回くらい利用したことが有りますが、
神奈川県民や輸送トラックで千葉に行こうとした場合、
車1台(+運転者)で片道3,500-11,500円ですから、
東京湾アクアライン通行料が片道800円の間はキツい運営が続くのでしょう。
しばし歩いて下浦海岸通りへ。
ここから野比海岸へは長い浜海岸が続きます。
この海岸通り、過去20年で2回、台風や高波で、数十メートル崩落したり陥没しています。
たぶん土留めした砂浜の上にアスファルトを乗っけたような道路なのでしょう。それゆえか海遊びするには駐車場が少ない感じがします。
若山牧水歌碑。
野比海岸にはこの歌碑が有ります。
「しらとりは悲しからずや空の青 うみのあおにも染まず漂う」
そばの長岡半太郎記念館で知ったのですがこの有名な俳句、空と海の前後を入れ替えて、
「しらとりは悲しからずや海の青 そらのあおにも染まず漂う」
になるかも知れなかったとのこと。
比較すると、見てる視点が、
上(そら)から下、
下(うみ)から上へ、変化するのを感じます。
日の光を反射する背羽の白さを知るには下からでしょうし、視線の動きでは順番は妥当です。
でも最初から上にいた方が見ている景色の広がりは大きいし、句の響きは良い。
さて、牧水は本当は?。
酔っぱらった牧水の「うみ・そら」を入れ替えた落書きが記念館に有ります。
京急長沢駅
昔は海からこの駅あたりまで漁村や別荘で下浦海岸通りは無かったそうです。
長岡半太郎さん(湯川秀樹さんの師で、戦争が無ければ日本初のノーベル物理学賞受賞していたかもしれない物理界の父)も自宅前の浜から船で東京まで通ったそうです。
昇る朝陽の風景や、月星夜景も幻影的で凄かったんだろうなと、その道路の無かった時代を想像しながら帰路につきました。
⑩YRP野比駅から三浦海岸駅
この駅名、YRP=YokosukaReserchParkと、野比の「のび」と、読み方が難しい駅。
朝降車するリーマンも頭の良さそうな人が多い駅です。
確か小泉さんの肝入りだった気がしますが、バブルのころ港区高輪に京急のYRP開設準備室が有ったことを思い出します。
三浦大仏
気になる大仏さんを確認しにいきました。
恐れ多いので写真は載せませんが、五重塔や大仏は急坂を歩いたところにいらっしゃる、庭師さんやお掃除担当者が多いきれいな霊園でした。
津久井浜へは旧道を京急長沢を過ぎた辺りで砂浜に出ます。
津久井浜
ここはウインドサーフィンのメッカ。最近は世界大会も有るようです。
見てると流行のウイングタイプでは最初向かい風の強い分、立つまでが難しいようでした。
ベテランばかりなのかみなさん、沖の方まで出て高速滑走を始めます。
沖は風が良いんでしょう。
漁網もなさそうだし、漁船もいないし。
「いいなー」と、しばらく眺め、時間が過ぎます。
ここまでの東京湾では案外、波が小刻みに小荒いのを感じてきましたが、
ここ津久井浜までくると、
風は浜に沿うので沖に流されず浜に押し寄せられず、
ブレイクするような大波も少ないから波乗りサーファーと喧嘩もしない、ので
ウィンドサーフィンのベテランなら長ーくかっ飛べるってことなのかな。
大会では世界トップレベルのライダーが競うようです。
三浦海岸
続いて歩いて三浦海岸まで来ると、津久井浜より風が弱まるのが不思議。
浜南端が直角に海に迫り出しているから風が入ってこないのでしょうか。
海をのんびり眺めたいならお勧め。たまに馬もいます。
駅近くでお昼を食べ帰路につきました。
⑪三浦海岸から松輪海岸まで
ここからは岩場散歩に変化しそうです。
去年、岩場でコケて、両手を付いて落下を防いだのですが、両手首と膝下に3か月以上打撲痛やスリ傷が残りました。
爺になると擦り傷の治りが遅いし打撲もいつまでも痛い。
凝灰岩の硬さはまだ頭に染みついているので緊張する散歩になります。
三浦海岸駅
三浦海岸
金田海岸
大浦海岸
しばし浜が続きました。
この辺りから岩場が多くなってきます。
剣崎方面へ
ここで良いのかなって階段を上ると、
こんな岩場が続きます。
初見だし誰もいないので、
満潮で行けなかったとき戻ってこれるのかな?、そんな不安になりながら、岩縁を歩いていきます。
こんな崖も。
禁酒必至散歩でしょう。
肩や尻が岩にぶつかると下に落ちそう。
三浦海岸駅から2時間くらい歩いた後の、この30分くらいの岩場歩きでは足膝がガクガクになりました。
そして松輪サバで有名な松輪に到着。
松輪サバフライにビールが正解なのでしょうが、13時過ぎで既にフライ単品は終了。
刺身って口でもなかったので、天丼とあら汁とビール1本。
大汗かいたあとのペコペコ腹、ビール1本でヘロヘロになってしまいました。
仕方ないので、バスで三浦海岸駅へ帰還。
松輪海岸バス停
横須賀市から三浦市に入ると、
浜歩き、
浜間をつなぐ車道は歩道は狭い、
歩き客は想定していない海岸へはどこから曲がれば行けるか分からない、
通行止めで仕方なく戻る連続。
おそらく江戸時代もこんな感じだったと思わせる古式行脚を経験できます。
このドキドキ感が良いんですけど。最悪かろうじてバス停は有るし。
⑫松輪海岸から城ヶ島へ
前回の続きで、バスで松輪海岸に戻り、散歩を続けます。
江奈湾
ここからは、誰もいかないだろう的な、グーグルマップ頼りの探検散歩です。
毘沙門天
毘沙門天浜
盗人狩
盗人狩って、名前が面白そうなので捜し歩き廻りました。
地図では行けそうなんですけど。
コッソリ奥までいろいろ行ってみましたが、どこも絶壁。
滑りそうだし、降りれても上ってこれそうか不安になり諦めました。
よほど珍しいのか農家の方には遠くから訝しがられキャベツ畑農道を歩き戻ってきました。
宮川大橋
車ではなんども通っているのですが、歩きだと橋もけっこう高くて怖い。
ここまでの急登り坂も有り、体力的にも景色を楽しむ余裕は無くなってました。
宮川港や遊女供養塔を拝察しながら、ようやく城ヶ島大橋下に到着。
城ヶ島大橋下(三崎港)
大橋を歩いて渡るのはおっかないので諦め、バスで三崎口駅へと帰路につきます。
三浦半島の東京湾側周遊散歩は終了。
次回から相模湾側を北上します。
三浦市に入ってからの秘境感は想像以上で、相模湾側も楽しみです。