1985年ごろのアメリカ西部の思い出ーネバダ州グランドキャニオン | 五吉のブログ

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いよいよ旅行も終盤。

次の訪問地は、グランドキャニオンです。

ラスベガスで、モーニングコールで起きて朝食。

9時にMAXIMホテルを出発しマッカラン空港へと向かいます。

朝フロントでTC(旅行者用小切手)でチェックアウトするとき、

バウチャーは有るかと聞かれ、何のことだか全く分らなかったなー。

 

マッカラン空港

初の小型飛行機搭乗が始まります。

10:40小型機(12人くらいの定員)で出発

小型機はやっぱり機内狭い。

事前に身長と体重をリストに記入させ、体重の重い順に前から左右バランスをとって座らせます。

出発時間ですが、少し揉めていてなかなか出発しません。

 

どうやらアメリカ人らしい高校生くらい?の女の子が前の方に座るように指示されても乗りたがらないようです。

一緒に日本人と乗るのが嫌なのか近くにいなかったので理由は分かりませんが、しばらく待っても結局その家族は飛行機には乗りませんでした。(確かに男女含め一番体重は重そうな恰幅でした)。
 

12:00キャニオンビレッジ空港着

バスに乗り、キャニオン公園を周遊します。

130年前のGoldRush時代。

西へ西へと一攫千金と生死をかけて渡ったグランドキャニオン。

公園の展望台から見た殺風景さと寒さは、そういえばここはデスバレーだったのを納得しました。

 

15:30マッカラン空港からラスベガスへと小型飛行機で出発します。

 

17:00ラスベガスで荷物を預けていたMAXIMホテルに寄ってからLAへバスで出発。

 

途中マクドナルドで夕食を取り、

22:30LAのRAMADA INNに到着。

RAMADA INNには宿泊した記憶はないので、

しばしショートステイして時間待ちしてLAS空港に行って、

1月3日の早朝便で日本に帰国したのかもしれませんが、この辺りはかなり記憶が朧気。

LAS空港でお世話になった駐在員と記念写真を何枚も撮って証拠写真はあるのですが、土産を買った記憶さえも薄く、さすがにこの強行軍、若いとはいえ疲れてたんでしょうね。

 

LAS空港から成田空港へ

機着便はSingapoleAirline。機内食もおいしく笑顔のサービスもJALより良かった記憶です。

以上が1985年ごろの初めてのアメリカ本国の西部旅行の記憶です。

アメリカもコロナの今と違ってまだ外人観光客に優しくそこそこ安全で、

日本人も日本でも世界中でも元気に動きまわっていた、

間もなく迎える空前絶後のバブル時代の前哨戦のようなアメリカ西部旅行でした。