エゴを押し付けない!


わかっていても、

押し付けないように気を付けていても、


無自覚に無意識に

悪意無く相手を不快にさせていたとしたら


そこには

エゴを押し付けられている

という相手の感じ方がある。


エゴを押し付けているつもりがなくても

相手がイヤだと思ってるかぎり、

そこには価値観の強要がある。


良かれの押し付け。


良かれは良かれなのだから、

本人はエゴだと気付かない。


エゴだの価値観の押し付けだのと

言われても腑に落ちない。


どうしてわからないんだ!


自分のエゴと他人のエゴ


エゴとエゴがぶつかるところに

愛はない。


愛のないところに心地良さはなく

不快感だけが漂う。


自分のエゴだと気付けたならば

それを他人に押し付けないように

意識すればいい。


いつでも厄介なのは

他人のエゴとの向き合い方。


愛をもってしても、

イヤなものはイヤだし、

無理なものは無理である。


とはいえ、

イヤだ!の主張や

相手に理解を求めることは

エゴの押し付け、

価値観の強要ということになる。


だから結局、

他人のエゴが原因であっても

向き合うべきは

自分のエゴということになる。


エゴには構うな、つけあがる。


エゴに力を与えるな。


相手にしなければ、消滅する。


だけど、エゴはしぶとくて、

強い生命力を持っている。


絶滅はしないと心得て


エゴは逃がすか

育たない工夫をするしかない。