現代(いま)に生きる日本舞踊の世界
 ~なごやに<創作と古典>の息吹を~

【その6、創作作品の作り方 後篇】

菊次郎先生は名古屋の西川流の中では、重鎮のお一人で、手広くお稽古場を持たれ、毎年 御園座でお浚い会を開催されています。勿論 「名古屋おどり」にも毎年出演され、張り切った素敵な先生です
さて音が出来上がってきました
音響さんの彼は私の好みを良く知っていると信じているので、出来上がって来た音に、文句は言いません! 素直に頂いて…音に合わせどんどん振りを付けて行きます
風神雷神役の、我が家で一番背の高い二人の名取に稽古を付け始めます。
西川先生とはなかなか時間が合いません。結局、夜の10時か11時に先生宅に伺ってましたね、光琳が色香で宗達を誘いその筆を手に入れようとする所などは今思うと、んー、
何といっても、二人とも、楽しく、良い舞台を作ろうと、真剣でした。
女の光琳は舞台に寝転んで、宗達を誘うのですよ

あ、西川先生、足をもう少し右へ。

ちょっと園美さん、体を左へひねってくれなきゃ、抱けないじゃないの

先生、私も少ししがみつきたい…

夜中の11時や12時に、二人だけで、そんなお稽古をしてました

……まだまだ若かったですが、ちっとも恥ずかしくなかったし、ただただお相手して頂いて嬉しかったですね。
もっとも、舞台で初めてご覧になった方は清純な娘役の園美の変貌に随分ドッキリ!!こんなことをしてよいの~と悩んだそうです。











お稽古と並行して、衣裳、鬘、小道具を決め、風神雷神の衣裳だけはありものがなく、自分で作りました。
上下ブカブカの大きなTシャツとズボン。気に入ったのがなくて、結局、何故か京都・四条河原町でアメリカからの輸入品を買いましたの。
手首足首を紐で縛り大国主命のような姿です。
上に大きなでんちを着せました。
車道の布地のデパート「大塚屋」さんで金襴緞子の布地を買い求め、お弟子一家にミシンを手伝って貰い、金銀の縄で装飾しました。素敵な豪華なのができました。
大道具屋さんと舞台美術の打ち合わせ、
ここまで来て、次は音楽のダメ押しです。
長いとか短いとか、間が気に入らない、抑揚が乏しい、音が大きいとか小さいとか、結局、私もスタジオに入り込んで3時間も4時間も、ああでもないこうでもない。12時を過ぎると危ないからと、駐車場まで見送ってくれます。
音が完成し踊りが出来上がり、スタッフに集まって貰い、振り見せです。
照明さんと舞台監督さんに、改めて詳しく話し、踊りを見てもらいます
私何故か始めはオズオズしています、何故か情けなく消え入りたい、でも気が入ったらもういけません、私の口から、注文が一杯飛び出て来ます
「ねえ、こうしたい、どうにかあ」

「えー園ちゃんそりゃ無理だよ」

「したいしたい、どうにかして!プロにお任せー、私達の舞台の成功、プロのお助けがあってこそよー」
いつもこんな感じです

後2~3週間頑張って、当日の前日。 舞台稽古です
照明さんと音響さんは打ち合わせ道理になるよう、や、もっと成果がでるよう、私と関係なくいろいろやってます。
私達、立方は衣裳・鬘をつけ、役になりきりながら、舞台監督さんと相談しつつ演じます。舞台の広さで、音に間に合わないとか、セリのアナが開くからそこに居たら危ないとか、紗幕が引っかかる、影になるなどなど。
ちょいと風神雷神さん、もっと張り切ってとお弟子にはっぱ掛けたり、宗達先生 ここはもう少し激しく叱って頂きたいのとか。
私の思いは風神雷神の図を元にして、子弟愛を描きたかった事、お客様に楽しんで、又来たいと思いつつ帰って頂きたかった事でした。
振りかえりますと、幕が下りた時すごい拍手で、今でも話題になるこの作品は多分成功だったと思います。
嬉しい思い出の作品です

私達創作活動をしている者にとって「創作」は楽しくて面白くて、でもその何倍も辛くてくるしい、逃げ出したい、そういったものです。
私の、山路先生の、初代五條珠實の創作作品、そうして、東京で出演してきた日本舞踊協会のそれ、芸術たらんと、そうして人々に迎えられんと、それぞれの思いを込めて新しく創り上げた作品ですが、優れた作品は次の世代に伝えられ、馴染まれ、古典として、大切に繋がれていく、今の段階、日本舞踊の創作と古典はそのような関わり合い、と思います。


次回最後です。