現代(いま)に生きる日本舞踊の世界
 ~なごやに<創作と古典>の息吹を~

【その6、創作作品の作り方 前篇】
創作作品をどのように創るの?とよく尋ねられます。
演目を決める発端はいろいろですが音楽、絵画、本、自然、芸術・芸能、世の中の出来事、など その折感銘を受けたものごとから選びます。
平成7年、第11回リサイタルで発表した「風神雷神の図」でお話ししたいと思います。
この11月4日に京都の国立博物館に行ってきました。少し紅葉がはじまっていました。
気持ちの良い日で、時間にゆとりのない中、強行したので、ますますご機嫌でした。琳派の誕生400年記念の展覧会でした(書を始め陶芸や漆芸で名を知られた本阿弥光悦が徳川家康から洛北鷹峰の地を拝領し、この地に工芸を家業とする親類縁者を集め、光悦村を営みました。琳派の誕生1615年・宗達の絵に光悦の書のコンビが始まります)。
俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一の「風神雷神」、本物が、この博物館に集まっていたのです。  
私の気持ちとしては、宗達が深みがあってしかも躍動的、光琳が華やかです。
実は、平成5年か6年のことです。瑞穂区にある名古屋市博物館へ展覧会を観に出かけました、俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一の「風神雷神の図」をみたのです。本物は確か光琳のだけでしたが
ほぼ100年づつ遅れて活躍した此の方達は、光琳は宗達に、抱一は光琳に憧れ、師事して、琳派を繋げて行きました。
画を前にして、胸にドーンときたものがありました。
面白!!踊りにしたい!
忘れられませんでした。







風神雷神図 上から俵屋宗達・尾形光琳・酒井
抱一


始めは「江戸の人々と風神雷神の物語」 を考えました。
10人程の門下に出演を依頼し、リサイタルの日を開けておくよう頼みました、人々の歩く流れがこう、風神がこうして・・・わくわく踊りをイメージしながら 筋書きをしたためていきます……
あれっ! 10分程の話で 途切れてしまった。絵の上っ面だけを取り上げたからです。これは却下です!と、同時に 宗達に憧れ、師事した光琳の姿を描こうと、私達日本舞踊の世界を写そうと思いました。

「舞台下手よりに女画師(光琳・私)」
床に宗達の描いた風神雷神の図、手本にして描こうとするがうまくいかない筆を持って想いにふけっている」などなどふつふつと湧き出て来る思いを、台本のように、文字にしていきます。 
大まかな筋書きが出来上がると、次は音楽です。短い作品の場合は自分で用意します。
今までに、さだまさしの「雨宿り」、洋楽の「ジュピター」とか、シンセサイザーの音楽も良く使いました。
此の度は40分位の長さにしたいので、その筋の方にお頼みしました。
台本を渡し、想いを述べ、ひと月ふた月と音が来るのを待ちます。

その間に相手役になって下さる方を決めます。
この場合は、宗達になる方です。
私より年上で、踊りがお上手で、師匠たる宗達の役に似会う方。
名古屋中の踊り手を思い浮かべます。真剣に注意深くそう、あのお方しかいない!! お舞台しか知らない。お話しした事もない。
でもあの方、西川菊次郎先生がピッタシ。
お頼みしましたら、面白そうだね、と、快諾して下さいました。


あと2回、つづきます。