大学生の最初の二年間は教養課程だったので、(専門課程は経済学)大学1年生のときにチョイスした課程の1つが、古文の🍀万葉集🍀 でした。



僕の大学は私立大学だったので、お隣の国立・鹿児島大学から出向して来る先生が教えに来てました。


小柄で髪も真っ白いお方だったので、おそらくは定年後にバイトされてる先生だったと思います✨しかしながらさすがに万葉集を教えてくださる先生だけに、とても明るくてセンス好いお話ぶりの、分かりやすい講義の先生でした。



1年間ではありましたが、その先生の万葉集の講義は楽しみにしていたのを覚えています🍀💓そして学生時代に僕の書棚には、岩波文庫の

🍀古今和歌集🍀も何故かありました。まともに読むというより、まだ19~20の年齢ですから、和歌って四季折々の風情があって楽しいなぁ、日本🇯🇵と日本人の感性って素晴らしいなぁ、ぐらいのものでした…



それが人生経験~体験も人並みに生きてきて、この歳になってようやく真に理解しつつある境涯になっています🌸🍁🍀🍂





「古今伝授㊙️」

それは我が国~古神道の神髄を極める言の葉🍀言霊🔴㊙️ の宇宙に通じる㊙️奥義であることなので 古今伝授㊙️ は、一子相伝㊙️であり、三種の神器の絵入りの書と柿本人麻呂の掛け軸と もろもろの品を置いて、何ヵ月~何年?もかけて伝授されて行ったそうです㊙️㊙️㊙️💜










以下の画像はすべてネット上からお借りしました。
ありがとうございます❤️

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ここ、京都・長岡京の長岡天満宮は、後陽成天皇の弟君の 八条宮智仁親王に武家の 細川幽斎(明智光秀の親友)から伝授を受けた場所でもありました🍀  

天皇と言えども古今伝授㊙️を受けた者からしか伝授されないからです🍀



同じく長岡京にある 勝竜寺城🏯には、

信長の安土城🏯、明智光秀の坂本城🏯などにもあったと言われている 天主 が ありました❗⭕  


長岡京の勝竜寺城🏯の天主の方が

安土城🏯天主よりも早かったそうです。











世界中の言語の源は日本語🇯🇵であることが年々証明されつつありますね💖  ペトログラフの師匠だった吉田先生も30年以上前から、それを発信され世界の国際学会においても数々の証拠や洞察をなされ、世界中の学者たちを驚かせました!✨まさに世界の 源語 です⭕



そういう過程を経て今❗万葉集や古今和歌集📖新古今和歌集、など すばらしい秘密㊙️が隠されていたからです✡️⭕✡️万葉集の暗号  とか言う本📕も昔々~出版されていたのを覚えています…いまNHKの大河ドラマ「光る君へ❗」が、なぜ2024年の今⭕❗ なのか⁉️大きな大きな意味と意義があるからです㊙️



ちょっとずつちょっとずつ和歌に慣れし親しみ和歌の真意㊙️を~紐解いて参りたいと思います。
















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なお下記の文章は、ネット上からお借りしました。

ありがとうございます💚🍀 参考までに

どうぞご一読ください📖  感謝💜





●古今伝授●

 「古今伝授」というのは、古今集の解釈を中心に、歌学や関連分野の諸学説を、口伝・切紙・抄物によって、師から弟子へ秘説相承の形で伝授することです。古今和歌集は、延喜5年(905)に紀貫之ら4人の撰者が醍醐天皇の勅命を受けて撰進した日本最初の勅撰和歌集で、平安朝文学の古典として代々の歌人に尊重され、作歌の手本となりました。しかし、成立後100年以上もたつと、歌の本文や解釈について疑義が生じ、各人各派の注釈が行われ始めます。

 東家9代目常縁は、藤原為家より受けた御子左=二条流の東家代々の享受とともに、正徹・尭孝といった中世を代表とする歌人に学び、切紙による伝授方法を取り入れて、連歌師の宗祇に伝授しました。宗祇以降この切紙を中核とする古今伝授が確立されます。

 古今伝授は、古今集講釈と「三木三鳥」などの秘説切紙伝授が中核をなします。三木は、流派によって異なりますが「おがたまの木」・「めどに削り花」・「かはなぐさ」、三鳥は「よぶこどり」・「ももちどり」・「いなおほせどり」、とされます。この三鳥が、フィールドミュージアムの施設名称の由来になっています。

 慶長の始め、細川幽斎は分派した古今伝授を集大成します。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際、幽斎は徳川方についたため石田三成軍にその居城・京都丹後の田辺城を包囲されますが、古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇が勅命によって城の包囲を解かせました。常縁から始まった古今伝授が、のちのちまでどんなに尊重されたかを知るに足りるエピソードです。

 近年になって古今伝授は、荒唐無稽なものとして和歌史のなかでの位置づけは十分になされないままでしたが、その解釈は歴史的には必ずしも妥当なものではありません。現在にいたって、これまで封印されてきた古今伝授資料が公開されるなかから、中古・中世から近世にかけての文芸一般、またその時代の社会思想や文学理念のありようを追求する手がかりとして研究がなされだしました。つまり、歌学伝授全史の実態が、単に「古今集」に関する秘事口伝の伝授史に止まらず、その内容は三大集の伝授はもとより、古今伝授の連歌界への伝播や「源氏物語」や「伊勢物語」の伝授という派生事項のほか、当代社会における神儒仏思想の混入、また文学理念の反映に至るまで複雑多岐な領域を含みつつ果てしない広がりを持っているのです。

古今伝授書 三巻(728KB)
 「古今伝授の里」は、こうした歴史的な背景を踏まえ、古今伝授の顕彰と研究のみならず「和歌・短歌のふるさと」として、情報の集積と発信をし続け、「古今伝授」を文学に限らず、その語感からくる「古を今に伝え授ける」という意味でも捉え、広く“日本のこころ”を探る試みをしていく里です。 






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古今伝授(こきんでんじゅ)の秘密とは、藤原定家が「古今伝授」として封印した10次魔法陣の暗号です。この暗号は現代の数学者でも解けない高等数学の難問で、大田明さんは古今伝授の暗示を使って、百人一首の番号や和歌に含まれることば、選ばれた歌人のつながりを読み取り、10次魔法陣を見つけたようです。

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百人一首の魔方陣: 藤原定家が仕組んだ古今伝授の謎をとく | 太田 明 |本 | 通販
内容(「MARC」データベースより) 日本の和歌の中に千年の時を超えて甦った〈10次魔法陣〉の暗号。 それは、現代の数学者でさえ解けない高等数学の難問だった。 定家はなぜ、このような奇妙な数字の配列を「古今伝授」として封印し、現代に遺したのか。
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古今伝授
... 花させる」→めど萩の茎を削って、数を数えることに使用する。 →中国殷王朝の時代の「洛書(亀の甲に書かれた三次魔方陣」を示す →魔方陣に秘密を隠した? 大田明さんはこの古今伝授の暗示を使って、百人一首の番号や和歌に含まれることば、選ばれた歌人のつながりを読み取り、10次(10×10)魔方陣を見つけたようです。
古今伝授とは、平安時代後期に始まったとされ、文明3年(1471年)に篠脇城主・東常縁が宗祇に伝えたのがその確立とされています。『古今和歌集』の解釈を中心に、歌学や関連分野の学説を師から弟子へ「秘説相承」のかたちで伝授するもので、伝授する方法は口伝、切紙、抄物があります。
古今伝授には、次のような資料があります。
古今秘抄
玉伝深秘巻
古今灌頂巻
和歌灌頂次第秘密抄
和歌秘事并序
古今秘聴抄
諸家口家古今和歌集秘説







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年正月20日条)を記しています。また豊臣秀吉の大坂城に招かれ、秀吉直々の案内で「殿主」を見物したさいには、「八重計歟」・「七珍万宝」とその見事なようすに感嘆しています(天正15年2月29日条)。つまり兼見は「天主」と「殿主」を併用しています。勝龍寺城には今も一際高い方形の土塁跡が残り、発掘調査から天主を備えた先進的な城の姿が復元されていますので、「殿主」=「天主」とよぶべき高層の建物が存在していたと考えるのは、妥当なことといってよいでしょう。

 とは言え、もう一つ確実な証拠が欲しい!と思っていたところ、ついに昨年、勝龍寺城天主の存在を決定的にする新資料が紹介されました。「地域史料研究会やわた」の有志と竹中友里代氏が調査に取り組んでこられた橋本家(石清水八幡宮神人)文書です。織豊期に当主であった等安(高好)は日ごろから連歌師紹巴と親交を結び、指導をうけていましたので、その関連資料がたくさん伝わっています。その中の一つ、紹巴が採点した高好の連歌の奥に、元亀4年(1573)6月6日付の紹巴書状があり、「勝龍寺城の『御天主』で両吟連歌を興行し、今帰ったばかりだ」と認められています。これこそが天主の存在と、そこが連歌興行の重要な場所であったことを伝える内容にほかなりません。藤孝と紹巴は連歌を通した交流だけではなく、当時の政治的・軍略的な動きにも緊密に関わっていました。

 天主の姿は今の私にはみえませんが、勝龍寺城の濠を辿りつつその跡を見上げれば、戦乱の世に安らぎを求めて連歌に興じる人々の声が聞こるかのようで、実澄(実枝)と藤孝(幽斎)が柿本人麿呂像を前に対座した古今伝授のイメージが目に浮かびます。そして細川幽斎と八条宮智仁親王の深い絆にも、いっそう思いを寄せずにはいられないのです。





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