みなさん、こんにちは❗🎀💓👩‍❤️‍👨💓🇯🇵

しろじに紅く🇯🇵 ごうちゃん & みいこちゃん

です❗ ♪( ・∀・)ノ( ´∀`)/~~❤️





私たちしろじに紅く🇯🇵の教材として使用し、

私たちのアソビノオオカミのご神事にも実践応用してきた古史古伝のひとつが、



ホツマツタエ   

です 💚📕📕📕🍀🍀🍀


私たちは、みいこちゃんの直感で、

今村聰夫氏の著書『はじめてのホツマツタエ』を

手本とさせてもらいました。



天の巻 地の巻 人の巻  三巻セットです。

📕📕📕🍀🍀🍀



原本はオシテ文字が使われています。







時代はヤマトタケルの父君である

景行天皇(第12代)の御世に、

著者のオオタタネコ と オオカシマという


臣が編纂して 第12代 景行天皇 に献上した巻物です。📕📕📕🍀🍀🍀

(今から約1900年ぐらい前、崇神天皇から数世代あとの天皇にまで仕えていたようです。寿命も200~300歳近く超長寿だったと記されています)



以前のblogにも書いておりますが、

何年も前に いきなりオオタタネコからみいこちゃんに メッセージが降りてきて、 アセンションが近いので、 わたしが仕えた 崇神天皇や  景行天皇 の御陵など参拝してもらって、我が一族すべてに あなた方の元神⭕銀河神の光を降ろしてほしいと…

2018年のブログ① 


2018年のブログ② 





大元の 大いなるアイアム⭕プレゼンスによって、協力してほしい、というような依頼がありました。


当初は、オオタタネコって 誰⁉️

あまり知識がなかった私たちは(笑)

ネットでそこそこに調べながら、依頼されたとおりに  崇神天皇   景行天皇 などの御陵や 奈良の大神神社(三輪明神)

などを初めて行かせて頂きました。



その頃は、オオタタネコが ホツマツタエ

著者-編纂者 であることさえ知らなかったのです。 だからのちのちあとになって、いろんな真実が分かってきたときは本当に驚いたわけです。

しかもすべて辻褄が100%合うように符合して来て感動しました!!!  🎀💓👩‍❤️‍👨💓🇯🇵💚💚💚💜



景行天皇は、 崇神天皇の孫になりますが、 崇神天皇は、神武天皇と同一人物とみなす説があるのです。



第10代・崇神天皇は ハツクニシラシメスノミコト とも呼ばれていて、初代天皇と見なされており、同じく神武天皇もハツクニシラシメスと呼ばれてて同一人物ではないか?と云われているのです。そうすると神武天皇からあとの欠史八代の天皇の詳細がほとんど分かっていない謎、記されていないという謎も解けてくるからです。



神武天皇が2600年ぐらい前の人、すなわち紀元前660年ぐらい前の即位した初代天皇と見なされてきていますが、実はそうではなく、2000年ぐらい前に存在したのが神武天皇なのだと… キリストの時代の日本🇯🇵、すなわち崇神天皇の御代はまさに2000年ぐらい前にあたります。


正統・竹内文書の継承者と云われてる故・竹内睦泰氏もそのように伝承されていると書いておりました。



真実は分かりませんが、

どうもそんな気がしてなりません☺️

ホツマツタエさえも

すべて鵜呑みにはしませんが、すでに崇神天皇(神武天皇)が大和政権を確立し、孫の景行天皇やその皇子のヤマトタケルの時代までかけて、日本各地を遠征・征伐(~元々の縄文の流れの民族や、同じく大陸からやって来て背乗り定着した弥生系の民族などを支配下に置きながら、磐石な日本・大和王権を築いていったものと推測できます。



ホツマツタエを読めばわかりますが、

大和 という名前は縄文古来の平安を意味する大和 なのですが、 あとからやってきた神武(崇神)勢力が、それを勝ち取って 大和 を名乗るようになったということです。 勝者は敗者の名前を奪い取るからです。 たとえばヤマトタケルが九州遠征し熊襲隼人族(クマソハヤト)を騙し討ちして平定し、自ら熊襲タケル と名乗ったようにです。


そういう意味では、

ホツマツタエは、ずーっとあとの時代の古事記、日本書紀よりは、かなり真実が記されていると思われます。 たとえば天照大御神は女性ではなく男性神であるとか…  



ただしホツマツタエも

滅ぼされ支配された側のオオタタネコを使って編纂された書物なので、そこはうまく大和王権側に配慮しながら大和王権寄りに書いているのは確かです。

しかしながら千年~二千年先まで見据えて、時が来たら…解る者には解れよ㊙️!!という仕掛けもうまく入れ込んでいるのです📖  読めばわかります😉





そんなホツマツタエの

最後の巻物~人の巻 の最終章には

以下のように記されています📕📕📕📖🍀



以下は、

ホツマツタエからの抜粋です📖



↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


ホツマツタエを述ぶ

(景行天皇に献上するオオタタネコの奉呈文とオオカシマの賛助文)

この素晴らしい日本国『日の本 ヤマト』は、

代々の天神(アマカミ)の下に、民心がひとつにまとまってできました。その求心力となったのは、初代天神クニトコタチが説いた

瓊の教え(トのおしえ)です。


宇宙の成り立ち、生命の不思議、自分の存在の意義など、人は誰でも真理を希求しますが、それに初めて答えを出したのが『瓊の教え』です。

瓊の教え』を知れば、

天地自然の中に調和して存在する自分を発見し、

不安から解放され、周囲のすべてを慈しむ豊かな心が得られるのです。 『瓊の教え』に心を寄せる人々の間にいつしか連帯感が芽生え、その広がりが天神を中心とする社会へと発展していったのでした。


日本国としての基盤が固まるまでに最も力を尽くされたのは、七代目天神のイサナギ・イサナミご夫妻でした。高い理想をもって国造りに励まれたお二人を、後の人々は

『フタカミ(両神)』とお呼びしてその功績をたたえました。



この時代にはまだ、

国家社会への参加を拒否して、原始的な狩猟採取の生活を続ける者も多く、人口が増えるに従って食料の欠乏が目立ってきていたので、両神は食料の管理生産を推進する使命を担って登場されたのでした。

そのためには、すべての人を国家に帰属させ、力を結集させることが不可欠だったのです。


両神は国家運営の中心に『瓊と矛』を据え、

この二つを神宝(みたから)としました。


』とは、『瓊の教え』を表す教典『瓊のオシテ』のことで、その教えは『天なる道』とも呼ばれて魂🔴のあるべき形、心の持ちようを示しており、『』がその『モノザネ』とされました。


神宝『』は、国民が豊かで平和に暮らせる国造りを、そして宇宙の摂理にかなった正しい政治を行うという、両神の願望と決意を象徴するものであります。


国家社会への参加を拒否している人々の中には、飢えや欲望から、善良な国民に対して収奪したり危害を加えたりする者がいましたので、国民を守るための『矛・ほこ』も保安の象徴として、両神に伝えられたものです。『』『』を政策の中心に置いた両神💓👩‍❤️‍👨💓🇯🇵の治世は、急速に国家基盤を安定させ、新たに社会参加する人々も増えました。


両神の嫡子であるアマテル大御神は、

この『瓊(御機織留の御文・ミハタオリトメのオンフミ)』『矛(八重垣の剣)』に『鏡(ヤタの鏡)』を加えて 『三種の神宝』とされました。


』は鑑みる行為の象徴で、

国政が『瓊の教え』に沿って正しく行われているかを常にチェックする目的に使われました。また『』には姿ばかりではなく、人の心も映し出す力があり、心のうちの光(カ)と闇(ガ)を見(ミ)る目的を持っていました。


この三種の神宝は、

アマテル大御神の嫡子オシホミミを介して皇孫のうち、弟のニニキネ(瓊瓊杵)に授けられました。

三種の神宝の精神をしっかり受け継がれたニニキネの治世は、どんなにか平和で、人々の暮らしは快適なものであった事でしょう。




(オオタタネコの奉呈歌 その一)

シワカミノ ココロホツマト ナルトキハ

ハナサクミヨノ ハルヤキヌラン

…後の世にこの書をひもとく人は、ニニキネがお治めになった時代のシワカミ・ホツマ国に思いを馳せ、その素晴らしさに心は澄み透って、真心の通った『政』を行うようになるでしょう。それによって国の隅々まで『政』は行き届き、花が咲き誇るような、活気に満ちた楽しい世になることでしょう。


(オオタタネコの奉呈歌 そのニ)

イソノワノ マサゴハヨミテ ツクルトモ

ホツマノミチハ イクヨツキセジ



…磯の入り江の奥にある砂浜の、砂を一粒ずつ数えれば、いつかは数え尽くすことができましょう。けれども、ホツマの真理は尽きることなく、天君の世が幾代続こうとも、この世界が存在するかぎり、輝き続けることでしょう。



三輪の民 オオタタネコが オシロワケ天君・景行天皇に捧げようと、二百三十四歳の今年、謹んでこの書を記しました。





その②に続く~




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