神一里のしくみ







ぐれんとひっくりかえることは、

闇から光へと思っている方が多くいるかと思いますが、、、


それはどうでしょうか?


自分の自我を本当に知っているのですか?

と、私達は今あえて聞いてみたいです。


人の自我には、無意識と言われる潜在意識と

意識できている顕在意識があります。


自分の自我を本当に知るとは、

無意識にあることを顕在意識で認識する

こと、『顕在化』できていることを

言います。


ただ、ここには自我の性質上

『見てみぬふり』や、『なりすまし』

巧みなすり替えが働くのです。


私達がこれまで、たくさんの自我をみてきて

思うことは、自我と言う性質の奥行きの深さです。


何年も自分と向き合ってきた方々でも

その自我の奥は深く、まるで底がわからないようなとめどない深さです。


それほどに、私達が自我を知ることは

すごく重要で
、大切なことだと言えるでしょう。


魂は、なんども生まれ変わりをくりかえし

数々の人生を送ってきた自我を体験してきています。


その人生の数だけ、カルマを解消したり

カルマをつくってしまったり。


やり残しは、魂に刻印され

次なる人生に持ち越されています。


今の私を構成しているのは、

何度も生まれ変わってきた魂と、今回の人生を送っている自我です。



前世の人生を送った自我とは、自我同士は全く関わりがないのです。


自我の役割はなんだと思いますか?

大きくは2つに分けることができます。


ひとつは、

肉体を守ること。

もうひとつは、魂に奉仕することです。


おぎゃーと生まれてすぐから、

本能は、プログラミングされている

生命維持を自動で動かし、死をむかえるまで

そのブログラムは、動き続けます。

その成長の間に、色々なことを学び

現実社会に適応する様々なことを身につけて

いきます。


そして、その自我は思考では学問や知識を学び、感情では快が不快かを感じとりながら

できるだけ快適なこと、心地よいことを

選ぶようにプログラムを形成していくのです。


しかし、人間は自我だけで形成されているわけではありません。

プログラムは脳(自我)という、スーバーコンピューターがやりますが

その情報を伝達するのは電子であり、

神経です。それは、魂の役割です。


魂があるからこそ、私達は生きているわけです。

そして、自我の役割として『魂に奉仕する』ことがあります。


魂に対しての奉仕とは

一番は、刻印されているカルマからの

解放をすることです。


カルマは何度も何度も繰り返される

バターンをもつ、『型』であり、自我に関係なく、が数々の人生で持ち越してきた

『型』
を今の人生で発動させてきます。


だからこそ、今の自我の私がそれを知り、見抜き、克服したり、成長したりしない限りは

昇華、解放はありません。


その『型』は、カルマだけではありません

今の生活や日常で、身につけた習慣や癖も

同じです。



人は自我の喜びや、楽しみを追及してしまうものなのです。

それが、いい、悪いではありません。


今、全人類に対して

魂の役割に気づくような、働きが起きています。


気づく人、気づかない人、

見てみぬふりする人、等、自由意志です。


たとえ、精神世界を学んでいても

知っているだけで、実践していないなら

知識があるだけです。


神一里のしくみ

ぐれんとひっくりかえる



見えない世界、自分の内側が先です。


それぞれの自我の奥底、無意識の底で顕在意識に気づかれないように

潜んでいた、1里の自我。


たった1里でも、それはヒミツの1里。


光となるか、闇となるか!?


これが大峠です。


個々人の大峠がすぎた頃、見える世界に

あなたが選んだ世界が現れる

でしょう