知人が「テレビでやってたよ」と教えてくれました。
内容が知りたくて調べてみたら、
こちらの『gooテレビ番組』の説明が分かりやすかったので、引用します
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/616413/index.html
これ読んでただけで、涙でてきた・・・
下記、引用
闘い ~あるキャプテンの物語~
早稲田大学サッカー部は1924年に創部し、天皇杯優勝3回の他に元日本代表監督の岡田武史や釜本邦茂らを排出した。今季キャプテンを任された畑尾大翔は攻守を兼ね備えたプレーで過去にU-17日本代表や大学では関東大学選抜などに選ばれた。そんな畑尾は全日本大学サッカー選手権に優勝する目標を掲げたが、去年2月に原因不明の肺の病を罹患し、激しい咳や息切れに襲われた。
当時、キャプテンに選ばれたばかりの畑尾はプレーを止めずに11月まで試合に出場し続けた。だが病状は徐々に悪化し、12月に全日本大学サッカー選手権の初戦メンバーから外れた。それでもキャプテンとして裏方の作業を率先して行い、畑尾は決勝まで進めばピッチに立てる可能性を諦めなかった。そんな姿を見て島田譲や、菅井順平ら選手はキャプテンを国立に連れて行こうと誓った。
全日本大学サッカー選手権で早稲田大学は1回戦の徳山大学と試合し、3対0で勝利。さらに準々決勝は札幌大学に2対1で勝利して早稲田は準決勝へと進出した。準決勝の試合直前に病で代表から外れたキャプテンの畑尾大翔は選手に思いを託して、早稲田は鹿屋体育大学と対戦。試合は早稲田が5対0で勝利し、決勝進出を決めた。
全日本大学サッカー選手権の準決勝翌日、早稲田大学のグラウンドでキャプテンの畑尾大翔は肺の病で苦しみながらも決勝の短い時間でも何かを残せればと練習行なっていた。12月26日には畑尾は主力メンバーと激しいメニューをこなすし、順調な回復を見せていた。
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早稲田大学サッカー部キャプテン畑尾大翔は原因がわからない肺の病に襲われ、大学最後の大会のメンバーから外れた。それでも病状の回復に賭けていた。畑尾を決勝に連れていくため、早稲田は強豪校を撃破し決勝進出を果たした。そして畑尾も順調な回復を見せていた。
しかし、その3日後のミーティング後にトレーナーとマネージャーにドクターストップがかかった事を打ち明けた。選手たちに話すかはまだ決めかねていたが、4年生と食事へと出かけた時、畑尾への思いを語り始め、畑尾も仲間たちへの思いを語った事で、本当の事をうちあける事にした。
年明けに4年生だけを集め、畑尾はドクターストップのため大会に出場できない事を打ち明けた。自分の分までサッカーを楽しみ取り組んでほしいと語り、仲間へ決勝への思いを託した。
早稲田大学サッカー部のキャプテン畑尾大翔は肺の病のためドクターストップのため大会には出場できない事を仲間に打ち明け、思いを仲間に託した。キックオフ直前のロッカールームではベンチ入り出来なかった部員が作成したビデオが流れ、部員全員の思いが届けられた。最後にキャプテン畑尾が部員達に声をかけた。
仲間と誓った日本一へ、最後の戦いが始まった。早稲田が先制ゴールをあげ、前半を2-1で1点リードで終えた。ハーフタイムで畑尾は後半への修正点をみんなに伝えた。後半32分、ゴールを奪った選手が見せたのは背番号4の畑尾のユニフォームだった。
そして3-1で早稲田大学が勝利。ピッチへ立てない無念さを封じ込め最後までチームのために徹したキャプテン、その姿に渾身のプレーで応じた仲間たち。日本一という形で結実した。
大学日本一という夢を叶えた畑尾は、病気を治しプロへ挑戦していく事を語った。