もう目も見えないので、反吐と反社を見間違えてしまうというのは良くあることだと思われるのだが、あんれまあ、今年、2019年の「桜を見る会」に反吐が大量に招かれていたそうなのよ。知ってました?奥様?

そもそも反社というのは道端にぶちまけられているのがデフォであり、朝方には、鳩やら烏やら雀やらが旨そうについばんでいるのだが、胃液にまみれたあんなの食って、美味いんかなあ、という疑問はある。

新宿の現場の近くに「つけ麺屋」があって、そこから出て来た若い衆が、現場の前で大量に反社。

当然、太麺のブツがこんもりとなっていたのだが、早速鳩がやって来て、気が狂ったように食べていた。

ハリセンで頭を引っ叩いてもまだ食っている。

 

反吐と言えば、その昔、「暴力団」に認定された組を思い出すのだが、これ、「暴対法」で、堅気の人間に手を出すとすぐにしょっ引かれてしまう法律だったと思うのだが、大分間違っているのかもしれない。

その後「企業ヤクザ」とか言って、手前でシノギをガンガン拡張していき、あらららら、大企業じゃん、というのも大分散見される。

そのやり方を参考にして今のブラック企業がげふんげふん。

 

個人的に思うのは、「製造業」が無くなっている時点で、その地域は終わりかな、という気がしている。

何も売るものが無いからだ。

お金を持っている老人からいかに金を巻き上げるか、という生業のジャパン・ライフなぞはまあ、この手の商売は昔からあり、その流れなのかしら。

老人を集めて、安いものをタダで配り、次々とお得な物を紹介して売っていく。

集まった老人達は、老い先が短いのにも拘らず、いや、それだからこそ、欲の皮が突っ張り、様々なお得な物件を我先に購入していく。「お前さんには負けん」「いやいや、それはワシの土地じゃ」

原野商法、なども、こういった流れだったのかも知れない。

 

すでに、自身の肉体で金を稼げるようになっていない老人達の資産を巻き上げるこのような商法を考えた奴は、余程、老人が嫌いなのだろうなあ、と思ってしまうぐらいに徹底している。

笑顔は仮面なので、そのぐらいは、普通に出せるよね。

いやあ、参考になります。

 

2019.11.27.

えーと、やはり、半年に一度ぐらいしかね、纏まった文章を書かない、書けない性らしく、ここを「日記」として捉らえるものなら、ワシの一日は、半年だ。

一年で、二回ほどしか、心が揺さぶられない。

次回のネタは何であろうか。

いやいや、もう、終了してどうする、ワシ。

 

簡単に説明すると、「本書は、第二次世界大戦(太平洋戦争)時、1941〜45年の上海での出来事を、ひとりの少年の目を通して描いた長編である」(訳者あとがきより抜粋)

 

この本は、昨今話題であった幻冬社と津原泰水のやり取り、いや、百田尚樹と有本香の嫌がらせも含め、(あ、敬称略で)幻冬社社長の「1800部」ツイートをトドメとした一連の炎上案件が元で、津原泰水を支持しておったのだが、(まあ、勝手にフォローしていただけなのだが)、「ヒッキーヒッキーシェイク」を購入し、読後に「あれ、この人は、かなりのSF者であるのだなあ」と思い、わりと周りをチェックしていたら、ずるんずるん出てくる出てくる、SF関係者。

 

「ああ、もしかすると、こういう人生の選択肢もあったのかなあ」と思うと、羨ましくてしょうがない。

 

まあ、選択した道はバンドさんだったので、みるみるうちに不況になり、やってらんない。

食い扶持は手前でやって、何とか、まだ、音は出している。

 

たまに。

 

J.G.バラードの名前は知っていたのだが、読んでいない。

この作品は、1984年。もう35年前だ。

17歳のワシは何をしていたのか。何を読んでいたのか。

高校生の時なので、多分、マイルスとフリージャズにうつつを抜かし、高校の図書館でフロイトとユングを読みまくり、授業中にも読んでいたので、マシン語があまり身に付いていない。

大分遅れて、解放の流れを、後追いしていたのかなあ。

 

いやいや、音楽も、全盛期だったと思うよ。

 

前述の津原泰水のツイートで、「これは買うべし」的なものが流れてきたので、購入。

 

どうもありがとうございます。

 

祖父は中国に行っており、どうもまあ、南京の方に居たらしい。斥候或いは監視的な役割を負っていた。

んでまあ、ググってみたら、これ、ここいらってば、上海やんけ。

「長江と黄河が一つになる所を船で渡っていたんだけどなあ、川が、一緒になる所は、水の色が、全然、違っていたなあ。そのうち、一緒になるんだけど」

 

この時期が、終戦前後なのか、それより前なのか、全くもって知識がないので突っ込んで聞かなかったのだが、ワシ、まだ小学生だったのな。

兄貴に「じいさんを、泣かすんじゃあない」と怒られた。

 

こないだ聞いたのが、親父の話で、まあ、まさに、終戦直前。

遠州灘から、米国艦からの、大砲の話。

上を通って市街地へ降ったらしい。

 

おそらく、東京大空襲的な、「ま、撃っとけ」的なアメ公の作戦なんであろうが、ワシ、今、その頃の不発弾が出て来ている現場に居るのよね。

 

なーんで、孫まで来るかねえ。

 

ぐるぐると時空が廻っているのだが、更に廻すと、自由劇場の「上海バンスキング」の映画化した奴も高校生の頃観た。時代的にはドンピシャリ。

「ウェルカームシャンハイー、ウェールカームシャンハアアーイイイ」

その三十年後に、六本木の「新世界」でライブをやるのだが、そこが、自由劇場の根城だと知るのはごく最近。何かいるなあ、と思っていたのだが、いたんだな。

 

アレ。

 

「総括」してないんだな、ワシらは。大日本帝国の。

 

ジムがスタジアムで長崎の原爆の光を見た事は、創作なのか、本当なのか。

現実には無いと思うが、本当の事であったんだろうな。

この小説は、35年経った今、現在が、いとも簡単に崩れ落ちる幻想の上に成り立っている事をリアルにわからせてくれる。

いや、たったの、80年前の出来事です。

こういうのは、繰り返しては、いけないものなのです。

7−11の補給が落下傘で降りてくる、そういう状況ですよ。

いや、コンビニって、真っ先に、物資無くなるな。

 

そういう時の補給路。

誰が、補給すんの。

現在の日本で。

政府が、コンビニ支援するから、コンビニで買え、ってやってるんだよ。

おいおいおい。

 

もっと、何と言うか、「根源的な所まで突き詰めてモノ考えろや」と言う、マコトに、生物的に、誠実な対応を求めるよ、ワタクシは。

 

既に次の対戦が始まっている模様の、令和元年に記す。

 

 

昨日は渋谷クアトロに「オーサカ=モノレール サー・ジョー・クォーターマン たこさん 」的なイベントを観に行ってきたのだが、途中で中田さんが「あー、レア・グルーブってね、自分の知らなかった音を聞いて、『うおーかっちょええわああ』ってな事でね」(意訳)ははあ、そうなのねえ。成る程。

はてさて、私のレア・グルーブってのは、何だろねえと考える。

「掘って聴いたブツ」になるのか。かっちょいい奴に限るのか。

同時代的に考えると、まあ、聴いていた音楽ってのも人それぞれで、ハマって、レコード買って、コンサートに行って、ってな物も人それぞれ。

プレイヤーが故人だとそれも叶わず。

同時代で活躍しているプレイヤーを追いかけるのとは別に、過去の作品を聴いて、かっちょいい人を探す労力が必要となる。

新しいのと古いの、両方。現存の人の古い音源なぞも掘ったりするのでまあ金と暇がなければとても出来ない作業だなあ。

ハタチぐらいの時のユニオンは、まさに、神であったのだが、もう30年も前の話だ。というか、その時の行動原理がどういったものなのかすっかり忘れてしまっているので、何をもってして「神」と認定するのかがよく分かっていないのだが、行って、掘っていると、まあ自分でもびっくりするくらい買っていた。

自分だけでは限界があるので、友人と一緒にレンタル・ショップに行き、お互い好きなものを選び、半々で金を払い、シェアもしていた。

レコードをテープに起こす作業です。

友人間でトレードもしており、好きだったアルバムがもう無い、という状況でもある。

そういった友人がどんどん減って行くのが蜜月の終わりなんだろうなあと今振り返って思うのだが、最近はネットがあり、死んでいない奴らとは連絡がとれる状態になっており、これは、ありがたい事でアリマス。

 

はてさて、私のレア・グルーブは何であるかとの結論を言いますと、「聴いたときにはもう死んでる」状態の、コルトレーンとモンクなのでありますね、ハタチぐらいの時は。

現在は、昔買ったブツを再確認している状態なのだが、まあ、ほぼ鬼籍に入っている。

ジャンゴは、良いね。

ジャコもマイルスもブレッカーも同時代的な感じで追いかけていたので、まあ、そこいらが再ブレイクするともうジジイの仲間入り決定。

フェラはごく最近なのですね。掘っているのは。

「何でお前ら昔から知ってんねん」という嫉妬はある。

皆、掘っているんだろな。

そして最近は記憶力が低下しており、「イントロ・ドーン」とかやられてもさっぱりわからない。気持ち良いかそうでないかのどちらかだ。これもまあ人によるのであろうなあ。

JBは基本同時代なのでレアでは無い。

観たし。

二週間後ぐらいに亡くなってしまった。

年齢が分かる「レア・グルーブ」探し。

個々でやると面白いかもね。

 

相変わらずのアフロ・ビートを繰り広げる我ら、JariBu Afrobeat Arkestra が一年越しでフランスはナントに呼ばれまして、珍道中の始まりでございます。

まあそもそも、今年の三月に、フルートのまきちゃんと、創始者みーちゃんが辞めるってな所からのスタートで。

おいおいおい。

バンド作り直しかいな。

 

二月にバリトン買って、テムジンをラッパに据えて、ツインギターにして、パーカッション入れて。ええと、こんな感じ時かなあ。

リハを入れまくって、フェラのカバーをお勉強の為にやったり、新しい曲を作って行ったりしていたのだが、この新しい体制でのライブは、7・1に初めてライブを行う。

新宿のOpenだ。7・2は代々木公園でのイベントに参加。7・17にはてっちゃんの結婚式で演奏。8・7には渋谷のブエノス。9・21にNo Style。9・28には南青山マンダラ。合計、六回しか舞台に乗っけていない。

 

その間、ストリップを見に行ってメガネを壊したり、亡くなった親方の代わりに仕事しに行ったり、マキ様アフロビート2016に参加したり、アー写撮ったり、酒飲みビッグバンドに参加したり、再びマキ様アフロビートに参加したり、ブリス・ワッシー来日記念で一緒にクソ程難しい楽曲やったり、ブック・シェル・カフェでトークショウ&演奏したり、まあ、ぐちゃぐちゃだ。

 

大体が、去年の韓国行脚記述も途中で終わっているので、これも、果たして、途中で終わるのであろうなあ、という感はありあり。

 

時系列で追っていこう。

 

10・5 成田に8:00集合なので、近くの京王プラザ始発の高速バスを予約。5:45発。アホか。

成田では、スーツケースの重量が23kgまで、と決まっているので、超過分の料金を払わないために、皆で、シェア。スーツケースばこばこ開いて荷物を分散。

軽く腹ごしらえ。うどん。¥900。愛ちゃんがテッタくんの見送りに来ているのだが、どうも、ガチャガチャをやりに行っているらしい。おもろいもん、あったんかねえ。

時間的に余裕があるので、皆、まったりとしている。

出国からドタバタだとねえ、ダメです。

これ、戻ってくるときにも必要な時間なんだが、得てして、うまくいかない。

 

入管くぐって、免税店でタバコ1カートン購入。

 

11:00成田発の Air France で、到着は、16:25にシャルル・ド・ゴール空港。なんやねん。六時間で着くんかいな、とか思っていたら、「時差」というものが存在しており、実質的には12時間程、機内で缶詰。映画を見まくり。「ヒッチコック」「X-Men」「暗殺教室」あと、ディズニーっぽいの何か見たなあ。マシュマロマンではなく、ええと。なんだっけ。

 

フランスに到着。

荷物を確認。

バリトンのオクターブ・キイが動かない。ウヒー。

マックスに連絡をして、リペアの要請。あ、マサがね。

 

次のTGVまでは二時間程余裕があるので、皆、荷物を持って、ウロウロしている。

邪魔でしょうがない。

ボスとタバコを吸いに行く。あれ、施設の外、結構、灰皿、あるぞ。

ややや。

これ、別に、旅行者のための灰皿では無いな。

この後も、様々な場所で、見かけるのだが、基本、施設内は禁煙。外で吸えやオラ、というスタンスらしい。そして、火をつけたまま下に捨てる。フィルターだけが残る寸法らしい。

空港内を戻ると、メッセンジャーが自転車で構内を走っている。

ええんかいな。

 

初めて乗るTGVは、フランスのおっさん二人がわしらの席におり、表記もよくわからないので、違う席に座っていた。叩き出せばよかったのだが、マサしかフランス語は喋れない。そして荷物満載。

荷物を乗せる場所はあるのだが、誰も、気がつかない。

世界中で、図々しいおっさんはいるものですな。

だから俺はジジイに厳しい。

おばちゃんには、優しい。

 

外人に優しく無いジジイがいる国は滅んだほうがいいな。

というか、そのジジイが問題なので、さっさと絞首刑にしたほうがよろしい。

 

途中でジジイどもが降りて、やで、うでしや、となっていたのだが、やはり、チケットを持った人は来るのであり、わしらの座っていた席がそこに該当。

ややや。

やっぱり、あのジジイどもは、ダマで、言葉の通じないことをいいことに座っていやがったんだなあ。さっさと死ね。

まあ、普通に移動して、事なきを得る。

荷物が多いっちゅうの。

 

三時間程でナント着。逆方向に出てしまうのだが、マックスとグレッグがお出迎えしてくれて、徒歩でホテルまで移動。

「今日は、もう、呑みましょう」という話になって、近くのビア・バーで呑む。

旨いうまい。外人さんとも話がはずむ。ああ、俺たちが外人なのか。

犬を連れていた人は日本通のようで、色々と行っているらしい。ヨガの話とか、桜の話とか、断片的な知識をこちらの情報で膨らませる。

最終的には、「シー・シェパードって書いてあったぞ」ってな事になり、「あらら」という結論に達するのだが、まあ、楽しかったので良し。

「ケバブ食いましょう」ってな話になって、移動。

 

フツーにうまかった。

 

続く。多分。

 

 

 

水が地球を循環して、まわりまわって、体内に入ったり、出たり。
水道水をガブガブ飲んでいたのは、もう、はるか昔の事。中学、高校、ぐらいまでかなあ。
それ以降、都下に住んでいるので、もっぱら、ミネラル・ウォーター。
私、嘘をついております。
しかし、この習慣は、ミネラル・ウォーターを飲むという習慣は、いつからだ。
昔、「美味い水を飲んだ」という記憶が殆ど無いのは、「どこにでもある、安全な水」という事実があり、砂漠で乾いた身体になった事が無い。という事か。
小さい頃は、あるなあ、その記憶。
水に対しての、「これは、身体にいいものだ」という意識は何時からだ。
チェルノブイリが爆発した時は、なーんも気にしていなかった。
湾岸戦争や、フランスの核実験の方が、ややや、と気にかかっていた。
9・11の頃は、パソが自宅にあったので(まだある)色々な情報をピーヒョロロローと集め(ダイアル・アップで、テレホーダイ)思えばその頃は川崎で講師なぞもしていた(偉そう)のだが、はてさて、時代が上がってきても、「ミネラル・ウォーターに変えるけんね、ワシ」という確固たる意志決定をした覚えがない。
3・11の時は、丁度、無職であり、あらららららら、と思っていた。
帰れない人一杯いたし。
皆、次の日、どうすんだろ、と。
家に帰って、また、次の日も、出社する、という、天変地異なぞ「関係無いね」という社畜の皆さんが日本を支えているのであるが、なんで、皆、家に帰りたがるんだろうか。
ああ、皆、独り身では無いからか、失礼しました。
愛を誓い合ったかたわれが住む家に戻らねばならぬ。おお、どうか、無事でいてくれよ。
会社に残って、非常食料をつまみにしてどんちゃん騒ぎを繰り広げていたのが知られたら即、離縁だからかも知れない。
後は、枕が変わると寝られない、とか、自宅というものは、常に安心出来る「巣」なんだろうなあ。さしあたっての身の危険は無いが、動揺しているので、帰巣本能が働く。
次の日は、電車が動いたり動かなかったり。
そして、原発がぽぽぽーん。
あちゃー。
しかしまあ、この時点でも、ミネラル・ウォーターに変えるけんね、ワシ、という確固たる決意は、まだ、無い。
爆発する前は、「食品偽装」のニュースが幅を利かせており、食品会社への猜疑心が強まっていた。「何が『どこそこの水』だ、この野郎、信用ならねえ」
飲んでいたのは、ボルビックぐらいかな。
しかしここも最近は経営が変わったのか、アヤシイ。
最近、飲んで無い。
一時、ペリエをガブガブ飲んでいたのだが、お金が続かない。
硬水が好きなようだ。
 
仕事柄、暑い日でも、寒い日でも、外に突っ立っている事が多いのだが、まあ、雨は、ご勘弁を。ってな感じ。寒さで凍る直前の水が、ねっとりと、目の前を落ちていく。
寒い日はそれで納得いくのだが、最近の雨も、妙に、ねっとりとしている気がする。
傘を持たずに雨に打たれていると、もう、それだけで、やる気がなくなる。
これ、ジジイになっただけの感覚じゃあ無いと思うんだよなあ。
粘度が増えた。
雨水や川の水を貯めている、貯水池から送られてくる水道水も、この所、ん?と思うぐらい、ねっとりとしている。「ああ、暑いからか、はっはっは」
水は形を変えて地球上にあるに過ぎないので、水資源の確保、というのは、非常に大事な事だと思われる。そして、日本は、世界では稀に見る水の国なのだが、そこのインフラである水道も、その水は、次第にねっとりとしてきている。
これ、ワシだけの感想だったらいいんだけどなあ。本気でそう思う。
最近は、飲み水は、ミネラル・ウォーターだ。天然の濾過装置を通しているので、まだ、さらりとしている。
調理やシャワーは水道水。残念ながら。
「質量保存の法則」で言ったら、地球上のものが、ぐるぐるとシェイクされているだけなんだがねえ。「閉じられた空間」としてね。実際は、宇宙線やら、隕石やら、ロケットやら、ガンダムやら、入ったり出たりしているので、余り、閉じられた空間でもない。
と、言う事で、何故、最近、玉葱がすぐにイッてしまうのかというと、もう、水が、駄目なのだ、という結論に達しました。
形を変えた水、だからねえ、植物も、動物も。
昆虫は、地球外生物なので、好きにさせておけば宜しい。
貧乏が服着て歩いているのも、みっともないから、やめようかなあ、と思ってもいるのだが、貧乏は現実としてあるので、何とかしたいものだ。
まあ、「貧しい」という概念があり、人それぞれに、その解釈は違うと思われるのだが、その職業に就いていて、「喰えない」というのは、どうにもこうにも、にっちもさっちも。
「働いているのに、喰えない」状況にあるのならば、「働かなくてもいいや」になり、それこそ与太郎了見の「あたいは、あまり働かないから、食べるのも、ちょっとで、いいんだ」ってなことになる。
ちょっとったってなあ。
何もしなくても、腹が減る、というのは、生物としての業なので、しょうがない。
食物が放射能を始めとする有害物質で汚染されていたとしても、喰わないと、死んじゃう。
残留物が身体に悪さをし、様々な腫瘍ができ、或いは、血管が硬くなり、それが元で、死んでしまう。
まあ、喰わずに死ぬか、じわじわと死ぬか、どちらかなのだが、食ってると、残留物のせいで、老化が激しい。
まあ、そもそもが、生まれた時から、死に向かっているので、それが長いか短いか、それだけだ。
「君に、何が出来る?」
というのも、不遜な言い方なのだが、やべえ状況を認識しているのにもかかわらず、動かないのは、ダメだろな。或いは、知っているのに、知らんふりをする。
「ふうん、そうなんだあ、大変だねえ」
いやいや、お前も、その一員だからね。
 
老化進行で先の見えた日本が、何をするかというと、「バンザイ突撃」だからね。
日本人って、そうなのよ。
 
玉砕大好き。
 
国家神道の名残が、「玉砕」を選んだとしても、その当時の選民の末裔が権力者であろうと、さっさと殺されるこちとらはたまったものではない。
大本営、本丸は、雑兵によって、維持できているのだが、雑兵がいなくなると、さっさと敵に降伏するんだよな。まあ、そりゃ、そうだ。
自身の生を謳歌したいからな。
「人生、食って、寝て、ヤッて、チョン」だけなんだけどねえ。
 
参議院選挙も公示されたけど、下らないお為ごかしを第一にしているのは、信用ならねえ。
下らないお為ごかしっつーのはね、ヒトの考えた、理念。
 
生理的に、安心して暮らしたいのよね、雑兵は。
 
雇用の確保ではなく、そこで働いたら、食えるだけの賃金を貰え、それは、社会の役に立っている会社なのか、ここ、重要。
オレオレ詐欺なんざは、溜め込んでいる老人を騙して奪う、ある程度の国家的なプロジェクトではないかなあ、などとも思っているのだが、あれ、被害にあった人、確定申告で、「被害額」の申請があった気がするのだが、そういうこと?
 
赤字申告で税を逃れる、っつーのは、よくやる事ですよねー。
 
ははあ。
 
ああ、肝心な事が何一つ書けないまま終わってしまいますよ。

ええと、向こう6年間ぐらいの年金にぶち込むお金を流用しまして、これはまさに、「一人オレオレ詐欺」なのだろうなあと認識してますが、バリトンサックスを購入いたしました。
ジャリブのギターのてっちゃんの知り合いで、高橋管楽器の跡取りがおりまして、まあ、彼らがどうやって知り合ったのかは私の関与するところではないのですが、いつもライブに来ていただき、「ああ、彼の所は、凄く良さそうだなあ」という感じで、注文したのだが、いっぱいいっぱいの感じのレスが帰ってきて、んんん?と思っていたのだが、本日、そのいっぱいいっぱい感の理由が判明。
基本、リペア屋さんで、新品の販売はしていないのだそうだ。
えー。
 
「オオバさんが、我が、高橋管楽器で、新品のバリトンを購入した一人目になります」
「まことにもって、申し訳ない」
 
我が家のサックス陣は、ソプラノは80、アルトはシリーズⅢとニッカン、テナーはアメセルとシリーズⅡ。これはヤスに貸したまま戻ってきてない。
 
以前、アクタスが NHK 側にあった頃、その前は、赤坂にあって、バイクで行ったりしていたのだが、その、渋谷で、アルトを購入しようとしたら、「あ、うち、小売り、やってないっすよ」と女の店員に言われ、「えっ?」となり、結局はイシモリで購入したのだが、どうもまあ、そのような営業形態であるようだなあ。
「ああ、これ、ええなあ」と思った選定品が、というか、知り合いがサックス欲しいので選定してくれ、といったときに選んだ一本だった気がする。アルトはね。
結局、そいつは買わず、めぐりめぐって、我が元に。
 
今回もそのシバリなのであろうなあと思っていたのだが、大体が、アクタスに、バリトン購入の旨を伝えておらず、知り合いがつづらサンしかおらず、大体が五年に一度ぐらいしか会わないので、「もう死んでんだろなあ」と非道く勝手に思っているのです。
府中に住んでいた頃、多摩川にチャリで練習しに行っていた頃、おお、懐かしや、三十年前の出来事。その頃は、高校生の時分にバイトして買ったヤマハのアルト。手元からずるんと落ちて、コンクリの上に落ちて、下が、ベッコリと逝った。
「ひいいい」
サックスの市川センセイに相談してね、紹介されて、赤坂に行ったのよ。「お願いします、直してくださいっ」その時の担当が、つづらサン。
ついでにルソーの教本買った気がする。
 
あれ、静岡でも、今のアルトがベッコリと逝った気がする。思い出したわ。まだラリーが生きていた頃なのだが、ぶっ倒したあの野郎は許さねえ。ラリーではなく、酔っ払いね。
「いやあああああ、良かったですよおおおおおお」と叫びながら安置してあった楽器類を軒並みぶっ倒して、イーケンに向かって行くのだが、その中のぶっ倒れた楽器の中に貴重なわしの楽器がああああ。
しかしながら、これもつづらサンの手によって直ってしまう。
酔っ払いのいるところでは、貴重品は、楽器とか、すぐ壊れるので、隔離しないとね。

んでまあ、購入したバリトンは、「ふははあああ、若い娘は、ええのう、うっふっふっふっ」という感じで楽しんでおりますねえ。個人練の二時間があっという間だっ。
 
高橋管楽器様、ありがとうございます。
めっさ速い時間から成田空港へ向かったのは、「絶対、誰かが、来ない」という確信の元からの判断なので、まあ、責められたものではない。
「えー、オーバさん、明日は、韓国なんだー。何時ー?」
「いやもう、新宿に7時で、もうね、早いんですよ」
「えっ、新宿に、7時で、早いんだ」
「いやいやいや、ここの現場はもう6時から動いているのは知っているんですが、というか、やってるんですが、とりあえず海外ですのでね、フライトは昼なので、相当時間持って行かないと、出るに出れない」
5時間の残業ノチの、自宅に戻り、準備してあるのは楽器とパスポートだけという状況。
ひいいいいいいいい。
寒いって聞いているけどどうなんすか、おっさんは、寒いと死ぬので、ウォッカとか持っていったほうが良いんですかねえ、どうなんですかあ、うおおおおおおん。呑んで寝るよ呑んでねるよ。
 
早朝にひいひい言いながら、京王プラザホテルへ。何故か、位地を誤認識していて、迷う。
ネットは便利なもので、リムジンバスの始発を教えてくれる。

外人のおっさんは前回書いたのでつるっと成田へ。
 
ええと。
タバコ、メシ、うんこ、両替を済ませ、我らのメンバーを待つ。
アレ、皆、来やがったねえ。
成田は、途中で、災害テストを行い、うんこする前にビビったのだが、「まあ、ここで、震災やら厄災やらが起きて、機能が麻痺するぐらいだったら、日本はもう終わりだ」
 
などと軽くイカリつつ、搭乗手続き。
チケットは予約してあったので、オッケイ。
「これはとても大事な、自分の分身とも言える楽器なので、機内への持ち込みを許可するように」
「無理」
「では、搭乗口まで持っていくので、そこで、手渡しで機内に入れてくれ。そこで、荷物のカーゴに突っ込んでくれ」
「ええと、なるほど、いいですよ」
これがギターを持って行った奴の言い分で、残りの、一緒に行ったTSとTBは、無事に機内持ち込みに成功。
多分、面倒臭いと思われたので、成功だ。 

アルトのわしは、富士登山的な服装のまま、楽器と共に飛行機内へ行くことを許可される。
 
飛行機を待つ間、この、待ち時間というのが、海外に行く時には非常に重要だと、帰国の際に思い知るのだが、この時点では、知る由もなし。
タバコ吸ってビール飲んでイエエエイ。
おしっこ。
イエイエイ。
成田で働いている方々は、国際空港ってな感じでね。
ちょいと八街の落花生の感じもあったのだが、まあ、千葉だしなあ。
というか、わしらが、国際的な恥さらしなのではないのか。
 
イエイエイ。
韓国での、電源変換コンセントも買ったぜイエイ。
 
「しかしまあ、あれですなあ」
「なんですかね」
「成田抗争ってのは、なんだったんでしょうかねえ」
「ありましたなあ」
「ありましたねえ」
「いやまあねえ、この広い土地を国際空港にするってのはね」
「いやいや、大体が、何年前のお話ですのん」
「かれこれ、ええと、40年前ぐらい?」
「適当でしょ?」
「はい」
 
国際空港にする、それを作る、ってのに反対していた陣営がいたのですなあ。
「成田闘争」かな。
竹槍持って、B-29に向かってえいやっ。
ああ、大分時代が違う。
 
航空機を使っての、世界の矮小化に反対していた人は一杯いたらしい。
国際線が総武線のようになるのは、反対。
5分に一本着てたらなあ。そら、面倒です。
 
ああ、まだ、日本を出発出来ないっ。
飛行機が来て、どうも、折り返しのようですねえ。
アシアナ。
どこじゃ。

初海外旅行がライブの要請であり、しかもお隣の国だ。
日本一周は船旅で経験しており、いやいやいや、あれこそが我が絶頂期であったのであろうなあ、うんうんうん、などとここ十年ぐらい思っていたのだが、大体が、金が無いので、そして、行きたい国も、東ドイツで終わっていたので、自腹切って渡航しようという情熱に溢れた時期はとうに過ぎ去ってしまっているおじいちゃんなのですが、あら、来やがったね。
来た。
来ましたねえ。
以前、北欧の国からオファーが来ていて、行こう行こうパスポート取るよっ。となっていたのだが、それはお話が流れ流れてパスポートは使わずに保管。
それを今こそ使うべく韓国のプレイの為、メンバーはひいひい言いながら、突貫で、取る。
一ヶ月前に話があり、そこからの流れで、「いこいこ、もう、いったれいったれ。ギャラが飛行機代ぐらいしか出えへんけど、どやねん、みんな、ちょいとは、自腹切る覚悟はあるんかい、お初の海外遠征がお隣の国やけどなあ、折角、呼んでくれはるんやさかい、行ったろやないけ」
という脳内関西おばちゃんが炸裂し、まあ、結構な赤が出るのだが、皆、乗り気。
 
三十万円も払ってくれるのであれば、行かない理由はもはや無い。最初は四十万円だったんだけどなあ。
 
日記を紐解くと、千葉での収穫祭に出つつ、働きまくりの残業ありまくりつつの、譜面書きいの、知り合いが亡くなりいの、東京シュラインやりつつうの、左膝が抜けつつうの、マキちゃんアフロビートバンドやりつつうの、膝が抜けたので休みます攻撃が全く効かず働きまくりつつうの、残業現場に放り込まれつつうの、負けじと七輪稼働しつつうの、卓袱台入れえの、うわあああああ。
 
日々の生活を繰り広げつつ、セットを考えつつ、残業しまくりつつ、当日は、皆、成田集合。

飛行機のチケットはマサ社長がどーんと購入しておいていてくれたので、とりあえず、下々の者は、行けばいい。成田に居れば良い。パスポート持っていれば良い。
成田といえば、サウンドハウスしか馴染みが無いので、相当不安。
山に篭った成田闘争のアカがいきなり人を襲う、とか、ないのかしら。
 
とはいえ、前日の残業が五時間というアフォアフォ現場から帰ってきて、荷造りしてたら、もう、夜中の一時だ。金には成るが、全くもって、何も出来ねえ現場だなあオイ。
朝六時にぬるぬる起きて、京王プラザへ。リムジンバスを予約してあるのだ。予約しておいてよかった。
一度演奏しに来た事があるのだが、さらにサービスが加速しており、良い感じ。
金持ちの外人多数。
ここが始発。外人のおじいちゃんが、チケットを持っておらず、「チケットがなければ、のれませぬ。イザ尋常尋常」という事に相成り、朝っぱらから、係りが炎上。運ちゃんにチケットを見せて「えーと、乗って良いの?」などと聞くが、「あ、係りの者に見せてください」
炎上中やっちゅうの。
「何故俺は金を払っているのにこのバスに乗れないのだ」
「チケットが無いと乗れないのです」
「そんなものは、いま積んだ、荷物の奥底だ」
「では、新しいチケットをご購入ください」
「ふざけるな」
などというやりとりの後、さくっと、わしは乗る。
始発は、人が少なくて良い。
んで、その後、外人老人団体も乗ってきたので、なんとかしたんだろうな。
十五分遅延。
で、次に、新宿西口へ行き、ここで、わらわらと乗ってくる。
ええと、皆、成田へ。ノンストップ。
バスはずるっと首都高に入り、湾岸を通り、東関道で成田かいな。
ゲートがいちいち遠いので、降りる場所を間違えると、ひいひい言いながら移動する羽目になる。
エアポート・リムジンのバスは、従業員に深々とお辞儀をされる。
その後、仕事終わった後の一服で、一緒の喫煙所にいるのだが。
ああ、一服。
只今は、これ、続きで書いているのが、もう、クリスマス前の一週間。
ちょいと、一服。
 
次回は、出国記。

パソを久々に起動したので、最近の動向でも書いてみる。
近々の世界は、川内原発が再稼動したノチ桜島噴火大注意報、とか中国の天津で大爆発とか、戦争法案反対の動きが非常に高まってきている事やら、まあきな臭い。爆発しちゃうのはいかがかと思うのだが、まあ、中国だしなあ。
 
こちらはこちらで爆発していたのだが、まあ、嘘なのだが、人生三回目の引っ越しを無事に終え(まだ手続き終わってないけど)せまあああああい部屋でじとじと生きております。
 
追い出されたんだけどね。
 
反社会的行為が過ぎるので、アナタ、出て行きなさい、などという事では無く、前の大家がおそらく亡くなり、遺産の相続的な感じで持ち主が変わり、「出て行って下さい」といわれたのがまあ二・三年前の冬。
弁護士を紹介してもらい、大家に話してもらうも、この大家は一切合切条件を満たさず、ノチ、放置になる。
いつまで住めるのかなあ、などと思っていた今年の初め、実家から戻ると、激しい寒波で凍っていた水道管が日差しで緩み、ぷしゃあああああああああああああああと水を撒き散らしていた。
適当な作りだとこれだよ。剥き出しだったからなあ。人も住んでいないし。
まあ、「ふざけんなコラ」状態で電話をし、設備屋が見に来たのだが、開通は八日後の一月十一日。
水のライフラインが消えても大丈夫な生活をする。
風呂は銭湯。水はミネラルウォーター。便所の水は、風呂桶に溜めておいた水。これらは雨水でもいいんだろうなあ。
大事な水のインフラを八日も放置された事に対するイカリもあり、ここの設備屋は余り信用できないナア、などと思う。
そうこうしているうちに、ここの設備屋が一括でリフォームなぞの契約を取り、こちらとの窓口になってしまった。
あららら。
基本、退去、解体の方向なので、「さあさあ、出て下さい」という感じなのだが、しばらく放置。
そのうちに、「京王多摩川に今と同じぐらいの間取りの部屋を御用意しましたので、如何ですか」などと言ってきた。最初は「おお、京王多摩川」などと喜んだのだが、よくよく考えてみると、只今の仕事的には、ますます不便になり、ううん、と考える。
仕事は都内中心なんだよなあ。
なんか、他に、ありませんかねえ。遠くの方に行って仕事も辞めてそこで生活する、とか、もう、おうちかえゆ、とか、色々考えてはいるんですよ。などと、いやいや攻撃をしていたら、口滑らせて「実は代々木にも」
「ん?」
「いや、大分、狭いんですよう、あははは」
「そこの話を聞きたいなあ」
どうも、三階の上にまた積み上げる形式の建物があり、上物を解体して、只今、内装のリフォーム中な感じだったようなので、「あ、じゃあ、そこで」
「大分、狭いですよ」
「まあ、しょうがないよね」
 
箱は決まったので、内見やらに。めっさ工事中。これはいわゆるやっつけなのねそうなのね焦らせてすまなんだ。ざっくりと寸法を測り、引っ越し準備中であった調布の家の荷物の選別基準をさらに厳しくする。
七月三日に内見で七月五日に引っ越しをしてしまうのだが、当然準備はある程度しかしておらず、まとまっている分だけ持って行ってもらう。
季節は夏なのよ。お盆に向けて忙しさが加速していく夏。
産廃の見積もりが十万円弱で、うひい、となったのだが、ま、安いと思う。
ここいらから、洗濯は新居で、
前の部屋に戻って片付け、という二重の生活が始まる。
七月二十日には、ジャリブのギタリストを騙して肉体労働をさせ、第二弾の引っ越しを敢行。ジャパレンで借りたタウンエースがクソだったのだが、これは、常にハイエース扱ってる身からすると当然であろう。
まあ、タウンエースで全然大丈夫だったけどねえ。
虫の痕跡が大量だったので辟易していたようだ。
痕跡どころか。
二重生活はまだまだ続き、産廃まとめ、ゴミ出し、ライブ二本なぞこなしつつ、常に「今日はどっちにとまるんじゃあああい」と考えている。
クライマックスが七月三十日。産廃出し。
 
「えーと、一切合切、持って行って下さい」
「了解しました」
うおおおりゃああああああ、だったと思う。トン袋は何袋いったかのう。
 
朝一からやって、昼には終わっていたので、軽く掃除をしつつ、NTTを待つ。光回線機器の回収。
 
後は解体業者に任せるぞ。
 
さて、寝袋とリュックとスポーツバッグをひいこら担いで電車に乗ろうとすると、大雨が降ってくる。
残っていた傘をさし、電車へ。桜上水で、八幡山での人身事故により電車が止まる。
よく電車がなくて桜上水から歩いたりタクシーで帰ったりしていたのだが、その時の記憶ではガストがあり、よし、そこで、飯にしよう、と降り立ったものの、影も形もない。
「めし、めし」どこもやってない。駅前に戻ってコーヒーとタバコ。
じわじわ桜上水~新宿で運転しているようなので、つるっと帰る。
多分、家に戻ったノチ、ハンズとヨドバシで買い物。
電話機も買ったものの、電話番号を誰にも教えず、かかってきた試しがないのだが、まあ大体、今時、家電なぞ使って会話をする人がいるのかね。
レコードプレイヤーも購入したのだが、安いのって、ベルトドライブしかなく、おっさんは、ダイレクト・ドライブ、USB付き、予算は少なめ、というのを狙っていた。
「あー、これ、いいじゃん。完売、次回は、九日?ふうん。あーこれもいいじゃん。あ、完売、次回は、十一日?ふうん」
日ではなく、月であったのに気がついて、慌てて、ダイレクト・ドライブのやつを購入。
聴いてもデータにはならないのだが、いや、レコードって、それで良いんじゃない?
針圧調整がよくわかりません。
 
この家で住みつつ片付けつつ夏が終わり秋が来て冬に備えなければいけないのだが、暖房器具どうすんねんな。湯たんぽで良いのか。
夏が終わる、終わる。
引っ越しの夏、ということで良いか。
また一つ大人の階段を上ったぞ。
もう、下り坂なんだけど上ってどうする。
 
しかしまあ、軽くなった分、動きやすくはなったのよねえ。
皆んなも、十万払って、捨てるが良いさ。
二十年ぐらいのゴミは捨ててしまえ。
三十年前のは断片的に復活させた。
ゴミを掘り進んでいくと、そこにあった希望も掘り起こしてしまうのです。
それは、とっとけ。