会社に余されての転勤(本人はそう思ってます)でした。
ただ、この転勤先は私の両親の故郷だったのでね。
戦前の家族(特に田舎)は兄弟が1〜12人が普通でした。
ですから、私の叔父叔母だけでも20人以上が営業範囲に住んでました。
そして、殆どの叔父叔母が一次産業で生計を立てて居ました。つまり農業、漁業をしてました。
それで無くても交通の不便な地域なので車は必需品、各家庭に2〜3台の車を所有してました。
何処の家に飛び込み訪問販売しても、ほぼ親戚と言う状態でした。
それでお客さんとは公私共のお付き合いになりましてね。
例えば冬には農家は暇になるので、昼間から(営業時間内)マージャンに誘われたり、漁師から船でチョット沖で鱈釣りをするから一緒に行こうとかね。
また、ある時は村祭りの役員にされた事もあります。
やんわり断ると「断るならお前から車を買わない」と冗談半分に脅された事もね。
そんな環境での営業ですのでそれなりに営業成績は伸びました。
お客さんからの紹介で車の販売も順調でしたしね。
そんな私を妬む上司が居ましてね。
ある時、私の留守中に紹介の電話は入ったらしいのですが、その上司が「俺が売りに行って良いか」と言ったそうです。
紹介してくれた人は「あなたではなく……」と断ったと訪問時に教えてもらいました。
そう言う事で営業成績は順調に伸びて来たのですが、この田舎に骨を埋めるつもりも無いですしね。
ずっと思っていたのが、一番営業成績が良い時に退職しようでした。
で、私の希望通りに営業成績が上がった時(販売台数 新車 10台、中古車 8台)に辞表を出しました。
当然本社から「引き留めの話とその条件」でわざわざ来られたのですけど、何の未練なく退職しました。
この営業所には4年くらい勤務してました。
「人生って不思議なものですね」って歌がありますが、私もそのものズバリです。
退職して、今後の事を思案しながらそれとなく職探しもして居たのですけどね。
そんな中、実弟から病気の連絡が入りましてね。
「遺伝性の病気なので兄貴も検査を受けにおいで」と言う事ででした。
当時の私は体調は悪くないけど暇だし「観光しながら検査に行ってみるか」と軽い気持ちで実弟のところへ……。
それで病院に検査を受けるために行きました。
で、医者と問診時に、私の兄妹(姉、妹 2人)が検査を終えていましてね。
医者に「この病気は女性の病気なのであなたは大丈夫です」との説明をして聞きましてね。
私としては今まで病気になった事もないし、検査をしないで帰ろうと思ってました。
その時、兄弟から「折角来たのだから検査をしなさい」と強く言われましてね。
今は仕事をして無いしと渋々検査を受けました。
これが私の生死の分かれ目だったのでしょうかね。
検査で実弟と同じ症状が判明しました。
そんなこんなで手術をする事になるんですけどね。
次回は病院の話になるかな?