今日も前回に続き、中国の医療体験談のお話し。では早速。

私は20代の頃から(多分)、左手の手の平に治りきらない米粒大の傷痕があった。定かではないが、棘のようなものが刺さったことがきっかけでカサブタができ、それがずっと残っていた。その傷痕から出血をすることもあった。頻繁に絆創膏を貼っていた。多分、その部分の皮膚が壊死し傷痕が治りきらなかったのだと思う。気になってはいたが放置していた。

2006年。中国・広州に住み始め半年が経った頃。前回の記事に書いたが、シンガポールでの手術の経験から広州の医療レベルを知りたい、と思い始めた。その頃、なぜだか手の平の傷痕の出血頻度が増していたので、これはいい機会!と思った。

日本人が多く通うクリニックに行ってみた。当時、私は中国語を習い始めてまだ半年弱。通訳がいるクリニックを選んだ。詳細は省略するが、皮膚科の医師からは「一見して、皮膚癌などの悪いものではない」と通訳を介して説明されたような....。もう記憶が定かではない。そして、形成外科の医師と「その傷痕をとる簡単な手術をするか否か」という話をした。この医師とは英語で直接コミュニケーションがとれた。「出血して不便、見た目がよくない、医師と英語でコミュニケーションがとれる」が決め手となり、この傷痕を取ることにした。「緊急性を要しないのに、広州で手術するの?簡単な手術とはいえ...」と日本人の友達からは言われた。

局麻の簡単な手術。担当医師は「このクリニックでもできるが、僕の所属する大学病院でする方がベター」と提案してきた。その大学病院の形成外科から「外国人の受け入れが可能」という許可が下り、大学病院で手術をすることになった。手術当日、クリニック専属の通訳とともにクリニックの車で大学病院へ。大学病院の門をくぐった時、「はぁ?これが病院?大型マンション開発エリアに来たと思った」と目を丸くした。内科棟の大きな建物がド~ン、外来棟の大きな建物がド~ン!病院内移動は車が必要なレベル。広大な敷地にある総合大学のキャンパスのような感じとも言えるかな?

私は外国人のため、まずは貴賓棟?という特別な建物に連れていかれた。遠方から来た家族が泊まれる宿泊施設も備えた特別な建物、つまり富裕層向けの建物のようだった。古いためか、日本人の豪華というイメージからはかけ離れていた。そこでお手洗いを使ったが、洋式ではあったが、衛生面・設備面では疑問が残り「ここが一番豪華なんだよね??」とため息が漏れた。

お茶のお持てなしを受け、しばらくすると、クリニックで診察を受けた医師とともに、その上の教授医師が来た。教授医師とそのクリニック医師との二人で執刀すると説明された。「たかがこの小さな傷痕を取るだけなんですが....。外国人だから?」と思いつつも、つたない中国語で教授医師に挨拶した。

そして、クリニックの担当医師に連れられ、その貴賓棟?から手術を受ける形成外科がある建物へ移動。10分以上は歩いた。内科棟1、内科棟2...といった建物を通っていった。目に飛びこむ光景全てが珍しかった。今ならスマホで写真を撮りまくったかもしれない。病院は人で溢れていた。

形成外科棟に着くと、「日本の.....大学で研修してきた。ここに展示されている資料は、日本の.......」と説明を受けた。待合室で手術承諾書に目を通していると、「感染」の文字が特に目についた。中国語と英語の表記があったと思うが、医学用語は日本語の漢字とほぼ同じなので、私の中国語レベルでも読んで理解できた。

そして手術室へ。通訳から「私は手術室には入れないので!」と言われた。「ここからは私の中国語のみか....」とあたり前のことをここで初めて気づいた。「わ~、珍しい!日本人~」と言った反応の看護師さんたち。日本のことについて中国語でいろいろ訊いてきた。庶民は人懐っこい人が多い。少ない中国語の語彙力を駆使して何とか会話した。

そして、「ここに横になって」と言われた。シーツにシミがついているように思えて、「これって清潔?」と訊き返した。「洗ってあるよ~」と私が何を気にしているか分からない様子の看護師さん。手術承諾書にあった「感染」に関するリスク承諾の文言が浮かんできた。医師が来ている手術着、その他多くのモノの衛生面に不安を覚えた。正直、ちょっと後悔した。「こりゃ....大病したら、せめて香港、できれば日本」という基準がこの時点で私の中で明確に出来た。この意味では本来の目的を達成した。

教授医師とクリニック医師による執刀。術中、クリニック医師には英語でいろいろ訊いた。「所見でも良性だね、」と言われたような....。病理結果でも良性だった。綺麗に除去・縫合してもらえた。それから10年ほど経った今は傷痕は全く分からない。クリニックでの術後検診では「問題は感染症だけ」と説明された。日本で術後の傷痕に貼られる防水フィルムのようなものはなく、「左手を濡らさないように....」と指導された。これがかなり不便・大変だった。

今から15年程前のシンガポールでの手術では衛生面に関する心配は全くなかった。日本より進んでいると思う場面が結構あった。術後の傷痕には防水フィルムも貼られていて、手術の翌々日からシャワーが可能だった。それと比べてしまったので、「広州では大病はできない...」と2006年~08年当時は思った。

「中国のお話ばかりだね。でもOKよ」
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