今の私にその当時の跡が2つあると思う。

ひとつは、点滴の跡である。

数週間ずっと点滴が外せなかった。

最初の頃は、ご飯すら食べてなかったから
点滴の栄養で生きていたんだろう。

一日中離れずついてきていた点滴と離れる時はとても気持ちよかった。
解放されたという思い。

身体が身軽になった。

それからは、一日数回から一回となり、という感じで回数が減っていった。

その頃に針を刺していたところではないところだが、
恐らくあの時の点滴で炎症を起こした跡がある。

すぐなおるかと思っていたが、未だにあるということはこれからもつき合っていかねば
ならないのだろう。

でも、これをみる度にこの時のことを思い出してしまう。

だから、残ってるのかな、忘れるなよ、あの時の気持ちってことで。


そして、もうひとつは「顔」である。

抗生物質の副作用で顔がふくれあがっていた。

口は大きく開けることもし辛いくらい頬が膨れ上がった。

食べること、喋ることも普通には出来なかったと思う。

みんなは膨れ上がってるね、とは言ってくれたけど
明らかに別人の顔だった。

頬が膨れ上がると表情を作るのも実は一苦労だった。

頬に厚みがあるから、笑いたくてもうまく笑えない。

しばらく、私は無表情だと思われることが多かったんじゃないかなと思う。

20歳までの顔は親に譲り受けた顔、
それからの顔は自分で作り上げる顔、と言われるが
私はここから始まってると思う。

その頃の経験があるから、色々と感情は素直に出すようにもなったのだろう。
そうすると、使う筋肉は発達するから。
あと、目もよく据わってるって言われる。

しかし、普通に生活する分には問題ないし、分からないだろうが口を大きくあけ辛いというのは未だにある。

顔のパーツ的にも口は小さくなったと思う。

あのまま育ってたら少し顔違ってたのかな、って思うけど
私はこの病気を経験して出来た、この顔が好きである