それから、色々な検査を経て私のこの病気の実態が分かってきたようだった。

その時に、人生で一番太くて痛かっただろう注射を骨髄を取る為に?
やられたことは覚えている。

国内で一年間に100人かかるかどうか、という極めて稀な病気だったようで、
当時治療方法が確立していた訳でもなく、原因不明で、
私の地元の県には過去に携わった医者が2人しかいなかった。

それで、また救急車で病院を移っていた。


ICUから小部屋に移された。

広くて、テレビがポツンとあって、
夜親が帰って一人になると本当に怖い部屋だった。

意識を取り戻してきた時に、
母親が私に言った、これだけははっきり覚えている言葉がある。

『あなたはいつ死んでもおかしくない状態だったのよ』

っと。

その時、初めて『自分の死』というものに向き合ったのだろう。

涙が勝手に溢れた。

[生きててよかった、今死んだら私は後悔しか残らなかったよ]

って心の中で思ったのを今でも鮮明に覚えている。


あとで知ったことだが、この病気の生存率は50~60%だったようだ。