続きです。
⑥中学校3年生
我が人生、最悪の1年間。
真・暗黒時代が幕を開けました。
よく耐えたなと今でも思う、中3。
春のクラス分け。
絶望しました。
顔見知りは大勢いますが、仲の良い子がただの1人もいないクラスになりました。
しかし、3年生は行事が多く、修学旅行もあります。
卒アル制作だってあります。
クラス替え早々ぼっちになるわけにはいかないのです。
クラスの他の子は、うまく仲良しさんと一緒になれた子ばかりで、最初からすっかり複数のグループが出来上がっていて、私が入り込む余地まるでなし。
一番目立っていたのが不良グループとソフトボール部グループでした。
ソフトボール部グループは楽しそうでしたね。
うらやましかった。
自分もソフトに入ってりゃ良かったと何度思ったことでしょう。
バスケ部グループ、テニス部グループもいました。
昭和の運動部は指導がキツい分、そこを耐えてきた部員の結束は固くなります。
文字通りの「部外者」が後から加わることは、絶対にできないのです。
沈んだ気持ちのまま、休み時間は他のクラスに遊びに行ったりして一学期は何とか凌ぎましたが、いつまでもその作戦ではやっていけません。
クラス内でなんとか一緒にいられそうな子2人に、表向きは何でもない顔をしながらも、そっと近づき、しがみつきました。
1人は小学校高学年で同じクラスだったEちゃんで、共有する楽しい思い出もある子。
もう1人はWさん。
幼稚園で同じクラスでしたが、その後は一度も同じクラスになりませんでした。
無口でクールで大人びた子ですが、さっぱりしていて意地の悪いことは絶対にしないので、人間性は好きでした。
2人とも部活はやめていました。
私もやめていました。
こう書くと気が合いそうに思えます。
ところがどっこい。
どうにもこうにも気が合わなかった。
EちゃんもWさんも、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったチェッカーズととんねるずの大ファンでした。
私とは趣味が合わないのです。
2人がチェッカーズ、とんねるずの話題で盛り上がっていても、ちっともわからないし、話に加われない。
それでも作り笑いしながら聞いていました。
苦痛すぎる!
(「当時は興味がなかった」というだけで、今はチェッカーズやとんねるずの曲、わりと好きです)
何より嫌だったのが、2人が勉強嫌いで不良ぶっていたことです。
私は不良もヤンキーも大嫌い。
中3なんだから受験勉強しなきゃいけないし、内申だって気になります。
なのにこの2人、休み時間が終わるチャイムが鳴っても教室に戻ろうとしなかったり、先生に楯突こうとしたり、髪の毛を染めたり立てたり制服いじったり。
定期テストの勉強なんてするはずもなく、遊び呆けていました。
嫌で嫌で仕方なくて、なんでこんなに気が合わないのに無理に一緒にいなくちゃいけないのかと悩みまくりました。
2人と距離を置いてぼっちになることも多くなっていました。
ホルモンバランスの崩れからかストレスからか、中3に上がってすぐの頃から多汗症になりました。
手汗と脇汗がひどくて、テスト用紙もノートもびしょびしょ。ハンカチを握っていないと字が書けなくなりました。
脇汗は、放っておくと制服のセーラー服に塩の輪が浮いてしまうので、休み時間のたびにトイレに行って必死に拭き取っていました。
土曜になると必ず念入りにセーラー服の手洗いをしていました。
一度、ちょっと仲が良かった隣のクラスの子に「◯◯さん、チチ浮いてるで!」と、制服に浮いた塩の輪をからかわれたことがあります。その時は小学校からの友人Yさんがそばにいて、「シーっ!(そんなん言うたらあかんよ)」と、その子をたしなめて、うまく話題もそらせてくれました。
Yさん今どうしてるかな。優しくて物知りで、話の引き出しが多くて気配りもできる良き友人でした。
Yさんとはとうとう一度も中学で同じクラスになれなかった。
もし同じクラスになれていたら…
そう思わずにいられません。
暗黒の中3時代。
でも修学旅行はうまくぼっち回避できて、受験だってちゃんと私立も公立も合格しましたよ。
よくやった私。
それに、ぼっちは嫌だけど、そのことで学校を休んだりはしなかった。
私だけではなく、昭和の子供は学校休まないんですよ。
どんな不良でもヤンキーでもいじめられっ子でも、学校に来るんです。
この後の高校生活でも辛いことがいっぱいあったけど、忌引き以外は一度も学校を休みませんでした。