こうやって父と、後どれくらい墓参りができるだろうか
この盆の暑い盛りに、雑草で山のように覆われた墓は、父母と私で奮闘し
やっと姿を現した。
毎夏のことである。
しかし、齢80を超える父母とこうやって元気に墓参りができることは、
幸せな話である。
この墓に眠る、祖父は高知県の漁師町で育ち、カツオ船や
底釣りで「金目」などを獲って、生計を立てていた。
姉や私が生まれ、共働きだった父母のもとへ、高知から出てきて
私たちの面倒を見てくれた。
子供の頃は、祖父さんと祖母さんに育てられた、と言って過言ではない。
ばあちゃんは優しくて、学校をさぼっても怒らなかった。
しかし、ひとにいたずらをすると「ヤイトをすえる!」といって、
お灸をもって、追いかけまわされた。
じいちゃんは東京に出てきても、家内工業の物作りをして、
ガンガン働いた。・・・しかし、酒はよく飲んだ。
昼間に、きゅすをガブ飲みする姿をよく見たが、後から聞くと
中身は焼酎だったという。
私はいつもじいちゃんの膝の中にいた。
向かうと、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」と、
10回唱える。
仏様にこの身をささげます、あなたの思うがままにしてください。
・・・という意味、だそうな。
漁師もやった。
この先、どこへ導いてくれるのだろうか。
私は従います、
あなたたちの思う通りにしてください。









