日本ではじめて就職できたのは韓国から帰国して
2カ月後の2004年3月某日
韓国では一応総務人事的な仕事をしていたので、
就職した中小企業でも同じく一応総務課長の
ような立場になった。
「ような」というのは肩書きだけだったから。
小さい会社なので、結局社長が全てを決めて
全てやっていたから。
面接の時も「日本と韓国では社会保険や
労働基準法などが違うので、総務といっても
知識面で不安がある」と正直に言った。
すると社長は「そういうのは慣れればできる
ようになる」とした上で、要するに「社員たちが
アホばかりなので、社長と社員の橋渡し的な
仕事をしてほしい」ということのようだった。
小さい企業ではよくあるパターンだが、まず社長が
非常にワンマン、しかし情熱や経営能力はあり、
会社を成長させたいという強い意欲がある。
しかし社員たちは楽して少しでも多くの
給料をもらうことしか考えていない。
社長は仕事をやらせようとするが、社員たちは
やる気ないので、仕事はずさん。当然社長は怒って
切れる。すると社員たちは反発し、けんかはしない
までもすぐやめる。当時は6カ月雇用保険に加入
しないと失業保険がもらえなかったので、社長に
よると、この6カ月でやめるやつが多いらしい。
会社は要するにじいちゃんたちに生活保護を
受給させ、そこから出る家賃をもらういわゆる
福祉マンションというやつだ。
その頃からこのビジネスモデルは全国で少しずつ
広がりはじめていたようだ。
それまで日雇い労働者が宿泊するいわゆる「木賃宿」
などと呼ばれる簡易のホテルが、この福祉マンションに
鞍替えするところが少しずつ増えていた。
今は逆に木賃宿がその低価格から外国人観光客に
人気があるが、当時はどこも経営が苦しく、福祉
マンションに変わるところが多かった。