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とりとめのない40歳からの人生再出発

十数年の海外生活後、諸般の事情があって帰国したのが40歳直前。まさに人生再スタートのリセット。帰国して早数年。思い出せる範囲で衝動的に過去を振り返ります。 ブログ引っ越しました。引き続きよろしくお願いいたします。

日本での会社での様子については少しずつ書くとして、

今でも思い出すのは帰国から数カ月、あの仕事もない、
何もすることがない、収入もない、ただ時間だけが過ぎ、
手持ちの金がみるみる減っていく恐怖

日本でろくに仕事もしたことがないのに、40歳になって
まともに就職ができるのか、しかも幼い子供を3人も
抱えて。

妻はわたしに対する軽蔑か、恨みか、よくわからないが
何とも言えない雰囲気だ。

大学を卒業した時は、将来大学教授を夢見て韓国に留学に
行った。韓国で国立大学も卒業した。学位も取得した。
母校と韓国の大学の研究交流では堂々と通訳を務めた。
周りから「すごい」と言われた。

大学で日本語を教えたこともあった。

しかしそんな経験も経歴も、大学にいなければ何の役にも
立たないし、普通の会社に就職するのであれば、むしろ
邪魔だ。

履歴書にそんなことを書くと、逆に負け犬のように
みられる。「これだけ勉強して、結局はこのザマか」と。

大学で専攻し、学んだことはどちらかというと教育系なのだが、
教員免許を取得したわけでもない。

だから大学で学んだことも今では何の役にもたたない。

自分が大学で研究したことを思い出してみる。よくもまあ
これほど実社会で何の役にも立たないことを必死で、金を
かけて、つらい思いをして、勉強してきたものだ。

神様を恨んだ。自分の人生を恨んだ。何のために大学に
いったのか。苦労して学位を取ったのか、なぜ教会の紹介で
結婚したのか、十数年も韓国のような国にいたのか。

韓国ではそれなりに先生のまねごともできたが、そんな経歴も
全く意味がない。もちろん韓国で裕福な暮らしをしていたわけ
でもないが、食ってはいたので、妻も満足とまではいかずとも
それなりに毎月給料をもらって普通に生活していた。



何があっても韓国にしがみついておくべきだったのか。

いやそれは絶対に違う。目先の少しばかり給料をもらっても、
日本に帰ったら何のキャリアにもならないことはわかっていた。



もちろん大学に就職できれば話しは別だ。しかし帰国して数年は
その見込みも全くなかった。

日本語教師をやろうかとも考え、面接にも行ってみた。
しかし日本語の先生の待遇はある程度知っていたし、
とてもじゃないが収入にも、仕事そのものにも満足
できるとは思えなかった。

ちなみにある専門学校で面接を受けたが、模擬講義まで
やらされたが落ちた。もちろん合格しても給与は15万円ほど
だったので、家族も養えないし、やっても意味はないと思っていた。

韓国では韓国語で日本語の講義ができるが、日本では
日本語だけで、直接法でやらねばならない。韓国で
実はそんなことやったこともない。


いっそのこと自殺しようか。


しかしまだ2歳にもなっていなかった末の娘は、なにも
知らず、真っ昼間から家で暗く悩んでいる自分に甘えてくる。
あどけない、純粋な笑顔で、韓国語とも、日本語とも
言えないような言葉で一緒に遊ぼうといってくる。

ただ親といっしょにいるだけで幸せなようだ。

自分がいなくなったらこの子たちはどうなるのか。
そして妻も。

心から教会と神様を恨んだ。