あけましておめでとうございます。

 

これまで映画やドラマで何度も見てきた忠臣蔵ですが、昨年末、初めて歌舞伎で仮名手本忠臣蔵を見ました。大星由良之助こと大石内蔵助を演じたのは松本幸四郎。忠臣蔵がこれほどまで人気があるのは、義理人情があり、決断力と実行力のある大石内蔵助こそ日本人が理想とするリーダー像だからでしょう。

 

民主党政権が失敗した理由は何か。政策の誤りもありましたが、それ以上に、国民はおろか、仲間の気持ちすらつかめず空中分解してしまったことが最大の原因です。永田町は理屈だけでは動きません。仲間との義理人情を重んじ、大義のために決断力と実行力を発揮する。どんな政策も仕組みも、人の感情を抜きに動かすことはできません。同じ失敗を繰り返さないためにも、まずは私自身が変わらなければならなりません。四月には、政策と義理人情で結びついた新たなグループを民主党内で立ち上げる予定です。

 

もう一つ、印象深かったのは役者の力量です。五段目、六段目で早野勘平を演じた市川染五郎が見せた主君への忠義と葛藤、七段目で寺岡平右衛門を演じた市川海老蔵の抜群の存在感。年末の忠臣蔵ならではの豪華な配役です。

 

歌舞伎の主役級を演じる役者の多くは、世襲の二世・三世です。登場した瞬間に「役者が違う」と感じさせるのは、もの心つく前から芸に触れ、子役から舞台に立つ彼らです。世襲だからこそ厳しい稽古の末に襲名が許され、歌舞伎の伝統が守られてきたのでしょう。

 

永田町にも「役者が違う」と感じさせる二世議員がいます。特に、そういう議員は自民党に多い。政治家としての所作、日本の奥の院とも言うべき文化人や財界との付き合いの深さ、対立していても(対立しているように見えていても?)、最後はまとまる集団としての芸の細かさ。そうした人たちが永田町にいることの意味は、私にもよく分かります。

 

忠臣蔵は落語でも登場します。先日聞いた柳家さん喬師匠の「中村仲蔵」は秀逸でした。出てくるのは五段目の斧定九郎。夫が亡き主君の仇討を果たすために妻であるおかるが身売りしたなけなしの金を父親から奪う悪党であり、五段目にしか登場しない全くの脇役です。この役を演じることになった俳優・中村仲蔵は七転八倒しながら工夫を重ねて定九郎を見事に演じます。仲蔵の名演で、弁当幕と言われていた五段目は忠臣蔵のシナリオの鍵を握る見どころのあるシーンとなります。ちなみに先日の歌舞伎では、中村獅童が定九郎を粋に演じていました。

 

中村仲蔵は、同じく落語の演目「淀五郎」にも登場します。こちらは、浅野内匠頭こと塩治判官高定の切腹の四段目。何度やっても上手く判官の切腹を演じられない淀五郎は、舞台で自ら切腹する覚悟を決めて中村仲蔵のところに暇乞いに行きます。淀五郎の様子からただ事ではないと察した仲蔵は、表情から声色まで親身になって淀五郎にアドバイスをして舞台に送り出します。仲蔵のアドバイスで文字通り生き返った淀五郎は、その日、見事に判官を演じ切りハッピーエンド。

 

中村仲蔵は門閥のない身ながら名優となった江戸時代の人物。見えてくるのは、凄まじいまでの芸に対する執着心と血のにじむような努力。そして、自らが苦労したからこそ後輩に対して深い愛情を持って接する姿です。

 

現代で同様の存在としてあげられるのは坂東玉三郎でしょう。忠臣蔵のおかるでは、完成された女形の仕草、由良之助や平右衛門との絶品とも言える駆け引きの妙を見せてくれました。音楽を奏でるかのように響き渡る台詞の一つ一つは実に見事です。歌舞伎界で坂東玉三郎の国際的な活躍ぶりが際立っているのは、その芸術性が普遍性を持つからでしょう。

 

「トンビは鷹を生まないからやめておけ」と父親に言われながら、地盤・看板・カバンなしでこの世界に飛び込んでから15年目。今のままの私では、永田町に存在する意味がありません。役者が違う人々が数多く集った永田町で、私が存在する意味は何か。そして、これから政治家として何をなすべきか。今年一年、そのことを考え抜き、困難を乗り越えてなすべきことを実行する年にしたいと思います。