正確には「眠りに入れない」。

①寝ようとしているのに、眠りにつけない
という状態ではなく、その1つ前の段階の
①´寝る態勢に入ろうとしているのに、寝ようとできない
という状況なのであります。

さ、今日できることはこのぐらいにして
(もしくは今日も何もしなかったからいい加減に)
そろそろ寝よう、と思ってからの
ネット動画視聴が止められない。

「夜間性大泉洋娯楽番組切り上げ不能症候群」

この病は年々ひどくなってきているような気がします。
何かの副作用なのかしら。気が付いたら発症してた、みたいな。
どちらにしても、ある程度のところで悪化は食い止めなければ
生活リズム、健康、成果にもダイレクトに響いてくること必至です。
心が弱っているときは特に感じたことなのですが、
人間関係が難しいと感じることが増えた気がします。

何かあると、友達って何だろう、
自分にとって人とかかわることにはどんな意味があるのか、などと
考えても意味のないことを考えてしまうのです。

そういうことを考えているときは大抵、
人間関係に疲れていることが多いんだと思います。

長期的に時間があるということがいまいち掴めていないこともあります。
「夏休み」って響きはいいですが、
これまでにそれを満喫したことがどれほどあったでしょう。

結局、夏休み「前」が一番いい時期なのかもしれません。
わくわく感のみで、あとは何だか惰性で時間を無為に過ごしてしまうのは
ザンネンなことかもしれない、と思いながらそろそろ夏休みモードです。
30代前半の同窓会に何故行きたくないのか分かりました。
同僚の先生と話していて
「その年代だと、何だかちょっと生々しすぎるかもね」
とドンピシャの答えを言ってくださって。

そうなのです!何がいやって、
きっとそこはとなく全体に「よく見せたい」雰囲気が漂って、
その中で惨めにならないように頑張らなくちゃいけない感じが
考えるだけでも面倒に感じてしまうのです。

もちろん友達を大切にしないとかそういうつもりはありませんが、
(結果的にその頃の友達で繋がっているのは1人しかいないけど)
そういう理由が主ではなく、「生々しい」のです。

さっき読んだ本に、こんな表現がありました。

どうしてわざわざそんなことを考えなくてはならないのか。
世界にはただでさえ生々しいものが満ち満ちているからです。
彼らは少なくとも、自分の手で世界の生々しさを
一つ余分に増やしたいとは思わないのです。
たとえ傷ついていたとしても、くたくたに疲れていたとしても、
「傷ついた」とか「疲れた」とか、そういうことは
なるべく口には出さずに生きていきたいと思っているのです。
そんなことをいちいち口に出しても、状況が改善されるわけでもないし、
自分が向上するわけでもないから。

「これだけは村上さんに言っておこう」
台湾の読者からの質問9の回答より

今のタイミングでこれが目にとまったということは、
やはりどこかで色々と気にはなっていたのかなと思います。
やっぱり、自分のことをできるだけ守れるのは自分だけだし、
どうしても傷つく必要があるなら、それは避けられないはずだから、
もし避けられるものなら、適切な距離をりたい、と思うだけなのです。

何だか吐き出してちょっとすっきりしました。
1.仕事の「型」を確実に身に付ける

2.会社員であることの意味を理解する

3.上司との関わりを深く、しなやかにする

4.心を安定化させるシステムを作る
“The positive thinker
 sees the invisible,
 feels the intangible,
 and achieves the impossible.”