痛みの波状攻撃ですが、これまで1時間おきだったものが、最近は2時間おき程度まで間隔が空いてきたように感じます。
昼寝をして汗びっしょり。
気が付いたら仮想通貨が急騰していて含み損も吹っ飛び、大きな含み益となりました。
一発逆転、海底自模。
一部利確して、来週株式に分散します。
それにしても痛い。
次回の診察日は9月29日(火)。
腫瘍の増大が原因となっている痛みであれば、放っておいて自然に治るものではないことは理解しています。それだけに、無限ループで痛みが続くことそのものが精神的にも堪えます。
そんな中、ふと思い出したことがあります。
亡くなった祖父は、戦前は近衛師団に所属し、昭和天皇の供奉将校を務めていました。終戦時には中国におり陸軍少佐でした。
(将校の場合、制服、刀、ピストルは全て自腹で、給料の3年分だったそうです)
子どもの頃、祖父からこんな話を聞いたことがあります。
「胸を撃たれた兵隊は助かることがある。しかし、腹をやられた兵隊は助からない」
当時は何気なく聞いていた言葉ですが、今になって自分が腹部の腫瘍による痛みを経験していると、その意味が妙に生々しく感じられます。
もちろん、胸部外傷でも肺や心臓など重要臓器が損傷すれば命に関わりますし、祖父の言葉は、あくまで当時の戦場での経験に基づいた実感だったのでしょう。
それでも、今の自分の状況と重なってしまい、暗澹たる気持ちになりました。
そして、ふと思いました。
「祖父はいったい、戦争中にどんな経験をしていたのだろう」
家族には、戦時中のことをほとんど話さなかったそうなので、家族も孫の私もわかっていません。
そこで、ファミリーヒストリー、祖父の人物像や軍歴を調べてみることにしました。
元々小学校の教員をしていて兵役で近衛師団に徴兵されたようですが、平民出身ながらそのまま近衛将校になったようです。
本来なら、役場などに残されている兵籍簿を調べる方法がありますが、一方で旧陸軍関係の機密文書は、終戦後の陸軍解体に伴って公開・移管された資料もあることが分かりました。
国立公文書館のウェブサイトなどで検索してみると、意外にも将校になってからの軍歴については、公文書でかなり具体的に追うことができました。
現時点で確認できた経歴は、おおむね次のとおりです。
・昭和11年 近衛少尉 少尉候補者第16期。
東京憲兵隊からの書類の中で陸軍大臣が結婚を許可した手紙が実家にあるので、任官時期は、昭和10年よりも少し早い可能性があります。
・昭和12年 近衛中尉 供奉将校
昭和天皇の直接警護にあたる任務に従事。
・昭和15年 歩兵大尉
歩兵第236連隊副官。高知で編成・勤務した後、中国へ出征。
・昭和17年 歩兵大尉
歩兵第236連隊第二大隊長。
・昭和19年 歩兵少佐
引き続き歩兵第236連隊第二大隊長。
・昭和20年 歩兵少佐
第40師団司令部参謀。
興味深かったのは、大尉でも少佐勤務の大隊長だった点です。
祖父が歩兵第236連隊にいた当時の戦闘について、元部下の佐々木敏隆氏(元防衛大学校教授)の著書から、ある程度具体的な人物像まで見えてきたことです。
昭和15年頃、第8中隊長だった佐々木氏の中隊が敵に包囲されそうになった際、連隊長は正面の攻撃を命じたとされています。
しかし、当時連隊副官だった祖父がその命令を撤回し、直接戦闘地域に出向いて第8中隊を撤退させたことで、中隊は危機を脱したというのです。(第8中隊が祖父のおかげで命拾いしたとの記述あり)
もしこの記述が祖父本人の判断を正確に伝えているのであれば、命令系統の中にありながら、現場の状況を見て独自に判断したことになります。祖父がどのような人物だったのかを考えるうえで、非常に興味深いエピソードでした。
祖父の葬儀に四国から大勢の方が参列してくださったのもわかる気がします。
また、第8中隊には、兵隊が「猛獣の豹」を飼っていたという話も残っていて、子供の頃に祖父から聞いた話しと合致しました。
しかも、その豹の剥製らしきものが、現在も高知市の科学館で展示・保存されています。
祖父自身も戦場で負傷しています。
愛馬が地雷を踏み、その爆発によって負傷。馬と、近くにいた下士官・兵の2名が戦死したと伝えられています。
また、同じ連隊の第一大隊長だったK少佐は、敵の狙撃を受けて戦死しています。
当時の戦場では、将校は狙撃の対象になりやすかったのでしょう。
そのため、階級章は少佐ですが、やはり兵隊の服を着ています。
さらに、当時の軍事機密書類を確認すると、昭和20年4月23日付で、祖父が歩兵第236連隊から第40師団司令部へ移動したことも確認できました。
後で復員までの祖父の足取りをさらに追ってみたいと思っています。
戦争について、祖父は家族には何も語りませんでした。
だからこそ、残された公文書や元部下の記録を手掛かりにすると、これまで知らなかった祖父の姿が少しずつ浮かび上がってきます。
自分が今、病気による痛みを抱えながら祖父の戦場での記憶をたどっているというのも、何とも不思議な巡り合わせです。
何年か前に高知の護国神社にお参りに行きましたが、今年はもう一度行ってみたいと思います。
お遍路も検討しなければ。😅





