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天上天下唯我独尊


釈迦が生まれた時、一方の手は天を、一方の手は地を指し、七歩進んで、四方を見てこう言ったという。その意味は「天上にもこの世にも私より尊い者はいない」。つまり、生死の間に独立する人間の尊さ、人格の尊厳を表した言葉だとされた。しかし、釈迦は非常に賢いことで知られているが、いくら賢いからと言って生まれてすぐこんな難しいことを言うわけがない。だからこれはあとから作られた伝説だとわかる。それはいいが、やがて「人格の尊厳」は風化して、いまは、自分より偉い奴は世の中にいないと思いこんでいる馬鹿とか、自分のこと以外眼中にない阿呆をからかう時に、「ヤツは唯我独尊だから」と言ったりするようになった。


※写真は内容には関係ありません。

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袖すり合うも他生の縁


他生は多生とも書くが、この世から見て過去および未来の生のことを指す。道をすれ違う人とふと袖が擦り合うようなちょっとしたことでも「他生」のどこかで縁があったんだ、という意味のことわざ。人と人との出会いについて言うことが多い。「袖振り合うも」ということもある。昔は男性も女性も和服だったので道ですれ違ったときに袖が触れ合うようなこともよくあったのだろう。このことわざは仏教的な人生観をそのまま表現したものだが、今でもよく使われる「これも何かのご縁です」という言い方と共通しているものがある。いろはがるた<京>の一つ。


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巧言令色鮮し仁


言葉を飾って巧みに言ったり、顔つきを和らげてうまく取りつくろう人は他人を思いやる心に欠けるという意味。孔子の『論語』にある有名な言葉だ。たしかに、弁舌はさわやかだけれど誠実さのない人はいる。言葉がうまい人ほど信用できないという日常の体験もある。では、しゃべるのが下手な人間は信用できるのかというとこれもあやしい。きれいな言葉を信用してだまされたら、ショックが大きい。要はそんなことではないかとも思える。「鮮」は「鮮魚」の鮮で、生きた魚が珍しく少なかった中国だから鮮が「少ない」と同義になったのだろう。


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