<取材・執筆・作画年月:2021年7月>

 

 

伝法院通り

 

 

 

天ぷらの大黒屋

 

 

 

道の両側に屋台が並んでいます。

 

 

 

木馬亭  浪曲の常設館です。

 

 

その一角は、大衆演劇館の 「木馬館」 

梅沢富美雄さんも公演したことがあるようです。

 

 

浅草寺西側にある「新奥山」といわれるエリアに

力自慢を競った力石があります。

 

 

江戸時代、 酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて力自慢をしていた酒屋・米屋の人足たちが、境内で力比べをした際に使われたもので、碑の力石は、明治7年に熊次郎という男性が持ち上げた百貫(375kg)の力石だそうです。

 

 

六区の映画館で無声映画上映時に活躍した名弁士をたたえる碑

 

映画会社5社の社長の連名で建てられました。

題字は鳩山一郎元首相の筆だそうです。

 

 

 

市川團十郎 像

明治時代の名優 九代目 市川團十郎の十八番「暫(しばらく)」の決めポーズ。

CANSON XL MIX-MEDIA A4 / ペン画・透明水彩

 

 

オリンピックの開会式で市川海老蔵さんが演じていましたね。

 

 

(313)【NHK】もう一度! 開会式 歌舞伎俳優 市川海老蔵さん | 東京オリンピック - YouTube

 

 

主人公の鎌倉権五郎の力強さにあやかるため 毎年4月に赤ちゃんの泣き声を競う「泣き相撲」がこの像の前で行われています。

 

花やしき遊園地

 

 

 

大昔、確か 花やしき通りのどこかだったと思いますが、ろくろ首や蛇女、人魚のミイラ、金魚を飲み込んでまた吐き出す人間ポンプ、等々おどろおどろしい奇人が出る見世物小屋があったのですが、今の時代はさすがに問題があるのと、結構 作り物等インチキなものも少なくなかったので 探したけれど見つかりませんでした。

 

脈絡なく着物美人をパチリ。

 

 

 

この後、ひさご通りを抜けて、吉原大門跡に向かいます。

 

ひさご通りを抜けて、吉原大門に向かいます。

 

 

 

すき焼(というか牛鍋)の「米久」

客を案内する時、太鼓をドンドンドーンと鳴らすのが粋ですね。

 

 

 

千束通りのさらに奥

 

 

 

今回は逆方向から来ましたが、吉原一帯は遊女の脱走を防ぐため「お歯黒どぶ」と呼ばれる水路に囲まれた袋小路になっていて、山谷堀-日本堤の川の土手沿いの道からしか入れなかったのです。

 

入口の大門の手前にあるのが「見返りの柳」です。

 

 

これは、吉原帰りの客が名残惜しく振り返ったということから名付けられました。

 

吉原に入っていく道はS字カーブになっていて中が見通せない工夫がされています。

 

 

そして吉原の入口、大門。

現在は門はありませんが、ここにありましたよというモニュメントが建っています。

 

 

 

今ではソープや「それ」と思われるお店があって 歩いているとお店の奥から声が掛かります。

この辺であまりパチパチ写真を撮っていると危ない目に合うというので控えました。

 

 

吉原神社

CANSON XL MIX-MEDIA A4 / ペン画・透明水彩

 

 

お穴さま

 

 

境内入口には、吉原の古地図がありました。

 

 

 

歩いて2~3分のところに吉原神社の別院 吉原弁財天があります。

 

 

 

 

ここには、関東大震災の時、逃げ遅れて焼け死んだ遊女490名を祀った碑があります。

 

 

 

さて、戻って六区に行きましょう。 

 

 

 

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