所謂、視える人が家族にいるという方がいた。
配偶者を亡くして悲嘆に暮れながらの葬儀の最中、
その方のお子さんは、
「今、ここにママがいたよ」
「ママとさっきこんな話をしたよ」
と言うのだそうだ。
そして数カ月たった今は
「だんだんママの影が薄くなっていってる」
と言う。
魂はある日突然即成仏、というよりは
だんだんと、徐々に、成仏していくのかもしれない。
もしかすると、それすらも人(魂)によるのかもしれない。
母を亡くしたときは
成仏してや、こっちは大丈夫だから!
ごめん、ごめんなさい
こんなことばかり想っていたように思う。
父を亡くした時は
四十九日を境にふっと気配を感じなくなった。
それはとてもとても切なかった。
今、夫は、、、どうしているのだろう。
まだ近くにいるのだろうか
それとも成仏して、お仏壇のある義実家で休んでいるのだろうか
わからない。
たとえ、影が薄くなろうと
視える人が羨ましい。
視たいよ。
たとえ透けててもいい。
たとえもちもちとしたあたたかい腕に触れられなくても
もしそこにいるなら視たい。