夕方、スマホを開くと、信じられないニュースがパッと画面に表示されました。








「三遊亭円楽さん死去 72歳」








この言葉の意味を理解するまでに時間はかからず、仕事の都合で外におりましたが、人目も憚らず大きな声を上げてしまいました...





ニュース詳細↓


日本テレビの長寿演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとしてお茶の間の人気者だった落語家の六代目三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・會泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。所属事務所が同日、公式サイトで報告した。22年1月に脳梗塞を発症し、リハビリを重ねて8月に高座復帰を果たしたが、軽度の肺炎でダウン。その後肺炎は軽快し肺がんの治療を再開した矢先に、帰らぬ人となった。

 所属事務所は「8月下旬の入院以降、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことでした。遺族、関係者一同、大変急なことで、今はまだ悲しみに向き合うこともできず、対応に追われております。葬儀は近親者のみで行わせていただき、後日、お別れの会を催す予定でございます。関係者のみなさまへは改めてご案内申し上げます」とした。 8月11日の国立演芸場。円楽さんは高座復帰に涙を流し、20分ほどのマクラに続けて古典落語「猫の皿」を演じた。満員の客席から割れんばかりの拍手が起こり、円楽さんも感無量の表情を見せた。 同30日には独演会も予定したが、26日に息苦しさを訴え、主治医による検査の結果、肺炎という診断。入院を余儀なくされて、やむなく独演会も中止せざるを得なくなった。 晩年は病との闘いが続いた。2018年に肺がん、19年に脳腫瘍、20年には肺がんの再発と初期の大腸がんが見つかり、そして脳梗塞。「死ぬまでやります」と宣言して、体調回復に努めていた。家族にみとられて師匠の五代目や桂歌丸さんが先に住人となった天国に旅立った。 1970年4月、青山学院大学在学中に五代目円楽の鞄持ちのアルバイトを始め、付き人を経て正式に入門した。前名の「楽太郎」は大師匠の六代目三遊亭円生が命名した。 76年に二つ目に昇進し、翌77年8月28日、六代目三遊亭円窓の後任として「笑点」にレギュラー入り。番組では「腹黒」「友達がいないキャラ」を担当し、毒の利いた政治批判や時事ネタで座布団の獲得枚数を増やしていった。 頭髪の薄い歌丸をネタにしての言い争いは見どころの1つだった。もちろん大の仲良しだったからこそできた丁々発止で、歌丸の死後最初の放送となった18年7月8日の追悼大喜利では「ジジイ!早すぎるんだよ!」と涙ながらに叫んで故人をしのんだ。 78年に真打昇進問題を機に落語協会で分裂騒動が起こると、師匠と共に協会を脱退し、落語三遊協会所属となった。80年に三遊協会が解散し、大日本すみれ会(現・五代目円楽一門会)に所属。81年3月に真打ちに昇進した。持ち前の人脈と企画力を生かし、07年から「博多・天神まつり」のプロデュースを務めていた。 2010年3月1日に六代目三遊亭円楽を襲名。全国区の人気を誇るとあって襲名披露興行は同年3月3日の高知県立県民文化ホールを皮切りに12月まで全国80カ所以上で行われ、大盛況だった。 16年には写真週刊誌「フライデー」に40代女性との錦糸町ラブホテルデートを撮られ、会見を開いて不倫を認めた上、関係を包み隠さず語り、「円楽改め老いらくと呼んで欲しい」「今回の騒動とかけまして、東京湾を出て行った船と解きます。(その心は)コウカイの真っ最中です」とオチまでつける神対応がマスコミからも評価された。 17年からは客員として落語芸術協会に加入が認められ、襲名披露興行をのぞいて、落語協会脱退以来39年ぶりに定席興行に出演を果たした。その後は闘病しながらの仕事が続いたが、21年6月に東京・有楽町よみうりホールで弟子の伊集院光(54=高座名は三遊亭楽大)と二人会を開催し、ファンを喜ばせた。】 スポニチ様より引用。


今年の1月に初期の脳梗塞の為、入院。事務所のホームページにて病状報告、夏頃まで休養する旨を発表。
4月には円楽師匠ご本人からのメッセージを掲載し、現在の様子をファンに届けてくださいました。
5月は待ちに待った退院報告。
そして7月19日に8月中席(円楽師匠の出演は8月11日、14日、15日、20日の4日間)で高座復帰することを発表。




この発表を見てすぐ、円楽師匠の高座復帰をこの目で見ようと国立演芸場に行くことを決め、8月14日のチケットを取りました。




そして8月11日。


タクシーを降り、車椅子に乗って会場入り。


涙ながらに高座への想いを語られた後、「猫の皿」を披露。


出番後の囲み取材では、毒舌を交えて円楽節を炸裂させていました。






続いて私が国立演芸場に行った日の出来事をお話しします。

こちらのエピソードは観に行った翌日にブログに投稿する予定で下書きとして残していた文章の為、不適切な部分等があるかと思いましたが、その日の気持ちをそのままご紹介したいと思い、あえて加筆、修正をせず公開いたします(青文字部分のみ)




11時頃に国立演芸場に到着。

会場でチケットを発券した後、どうしても円楽師匠に直接お会いしたいと思っていたので、行きの新幹線の中で書いた手紙を持って楽屋口で入り待ちをしました。

8月11日は、12時40分頃に楽屋入りとネットニュースに書いてあったので、そんなに早くはいらっしゃらないだろうと思っていたのですが、12時15頃に円楽師匠を乗せたタクシーが到着!

円楽師匠は現在、車椅子を使用されており、タクシーを降り、車椅子に座る時も、スタッフの方数名で支えておられました💦

そして円楽師匠が車椅子に乗り、落ち着いたところで、




私「円楽師匠!手紙を持ってきたので受け取っていただけないですか?」

円(手を出して手紙を受け取る)

私「ありがとうございます。今日、兵庫県から来ました。もしよかったら写真1枚、撮っていただけないですか?」

円「おう(掠れた声で)」

私「ありがとうございます!」

円(手に持っていた手紙をマネージャーに渡す)

私(スタッフの方に対して)「お願いしてもいいですか?」と言い、携帯を渡す。

私「円楽師匠、横、失礼致します」と言いながら円楽師匠の車椅子の横に座る。

ス(写真を撮り、私にカメラを渡す)

私「ありがとうございます!今日、楽しみにしてます!」

円(スタッフが車椅子を押し楽屋口の中に入る)




と言った流れで、無事、手紙をお渡しすることができ、写真も撮っていただくことができました↓



復帰が発表されて、すぐにチケットを取ったので、3列目で見ることができました😆


うめ吉さんの出番終わりで、一度、幕が閉じ準備が整うまでの間は笑点のテーマソングが流れていました。

その後、出囃子がなり、円楽師匠が登場!



復帰初日とは違い、車椅子に乗ったまま、マイクを右手で持っており、病気の影響かその手は少し震えていました。

今日は落語はなさらず、公演日が故 歌丸師匠の誕生日だったということもあり、歌丸師匠のお話や得意の笑点メンバーいじり、師匠の病気のお話をされていました。


(8月14日の演目)




8月15日と20日も車椅子姿で高座に上られたそうで、高座に座って落語をなさったのは11日だけだったそうです。



それから僅か6日後の8月26日、軽度の肺炎の為、再度、入院したと事務所のホームページで発表。

併せて8月30日に日本橋公会堂で予定されていた独演会中止のお知らせも。




そして約1ヶ月後の今日、本当に残念でなりません。

円楽師匠の高座を生で観たのは3回しかなく、もっと観に行けばよかった、笑点の公開収録にも行っておけばよかったなど後悔が絶えません。

天国の歌丸師匠、五代目圓楽師匠、こん平師匠と懐かしい会話に花を咲かせてください。



円楽師匠、今までたくさんの笑いや思い出をありがとうございました。










最後に...









「ジジィ!早すぎるんだよー!」