昨日、午後2時16分、葛城ユキさんがお亡くなりになられました。
葛城さんは昨年、夢スター歌謡祭【夢スター「春・秋」】で共演している、平浩二さんが公演中に、くも膜下出血で緊急搬送されたことをきっかけに「人ごとではない」と人間ドックを受診なさり、原発性腹膜がんステージ4と診断されたそうです。
そのニュースを見た時は大変驚きましたが、2021年4月29日に音楽フェス『NAONのYAON2021』に出演された際、「これから入院、治療しますが、どんなに苦しくても痛くても耐えて、必ずステージに復帰したい。ロック魂で頑張ります」とおっしゃっていたので、いずれ完全復帰し、病を患ったことを感じさせない歌声を披露してくださることと信じておりました。
その約一年後の5月17日、千葉県 成田国際文化会館で行われた夢グループのコンサート『夢スター春・秋』でステージ復帰。
車椅子での登場でしたが、葛城さんは人気曲「ローズ」を圧巻のパフォーマンスで披露なさり、歌い終えると万雷の拍手を浴び、「どうも、ありがとう。皆さまの声援のおかげを持ちまして、葛城ユキに少しではありますが戻ることができました。まだまだ本来の形ではありませんが、少しずつ少しずつ元の葛城ユキに戻れるように一歩一歩頑張って、体力をつけて、そして皆様に元気になってもらえる歌を歌い続けられるようになりたいと心から思います。だから元気にならなくてはいけません。頑張ります。」とおっしゃっていました。
ステージ後の取材では、「やっぱりステージはいいね歌うために生まれてきたと、いつも言っていたし、思っていた。水を得た魚のような気がしました。ちょっと遠いですけど。でも、急には帰れない。少しずつ、1歩ずつ歩み寄っていきたい。ワンマンライブが早く来ることを願うだけ」とおっしゃっており、完全復帰はもう目の前だと思っていた矢先の訃報でした...
詳細↓
【ヒット曲「ボヘミアン」で知られる歌手の葛城ユキ(かつらぎ・ゆき、本名・田中小夜子=たなか・さよこ)さんが27日午後2時16分、腹膜がんのため、都内の病院で死去した。73歳だった。個性的なハスキーボイスで人気を博した葛城さんは、2021年4月にステージ4の原発性腹膜がんが発覚。闘病生活を経て今年5月に1年ぶりのステージ復帰を果たし、車いす姿で歌声を届けたばかりだった。
「ボヘミア~ン!」とシャウトするハスキーな歌声で一世を風靡(ふうび)した葛城さんが天国に旅立った。マネジャーによると、2週間ほど前から容体が悪化。今月17日、千葉県内で昼夜行われた「夢コンサート」に出演。コンサート最後に車椅子に乗り、ほぼ横たわっているような状態で出演者の方々に囲まれてステージに登場し、ささやくようにローズを歌いあげた。「かなり弱りました」と葛城さんがおっしゃると、出演者の方々も涙ぐんでおり、司会役の夢グループ石田社長は「このコンサートが最後かもしれない」とおっしゃっていたそうです。マネジャーによると「病気が進行して体力的につらかった。声もかすれていた」というが、ソロコンサートに向け情熱を燃やしていたという。 葛城さんは3日ほど前から、恩師らに感謝の電話をかけていた。「夢コンサート」を主宰する夢グループ・石田重廣社長のもとにもこの日午前8時ごろ、「今から救急車を呼ぶんだ」と電話があったといい「人生は感謝でいっぱい」と別れを告げたという。最期は関係者と実姉に見守られ、静かに眠るように亡くなった。関係者は「声は出なかったが、しきりに『ありがとう』と言っていた」と明かした。】※一部、報知新聞社様の記事から引用。
(2022年6月29日追記)
夢グループ 石田社長インタビュー全文↓
石田:昨日(27日)の朝、彼女から電話をもらいました。「社長、これから救急車呼ぶので……。今までありがとう。体に気をつけてください」と。もちろん体が悪いのは知っていましたけど、まさか、その日の午後に亡くなってしまうとは思いもしませんでした。――葛城さんは近年、夢グループのコンサートで全国を回っていた。石田:夢グループの「夢スター」コンサートには春チームと秋チームがあるのですが、春チームのメインと言っていいのが葛城さんでした。彼女が歌うのはロックですし、自分が盛り上げなきゃという意識が高い人でした。ですから、他の方は1曲ずつでも彼女には2曲歌ってもらったりしていたんです。「夢スター春」は僕が企画したものですから、これだけは毎回同行していたんです。ここ5~6年は、年100回は一緒でしたね。僕も酒好きですが、彼女はビールを10杯から20杯はいけるくち。打ち上げで最後まで付き合うのは僕だけでした。お姉さんみたいな存在でした。――彼女の病が判明したのも、きっかけは夢グループのコンサートだった。
病気を知ってビール
石田:昨年の4月5日、下関で開催された夢グループのコンサートで、平浩二さんがステージで倒れてしまったんです。救急車で搬送するとくも膜下出血でした。数年前にはチェリッシュのエッちゃん(松崎悦子)も胃癌を患ったしね。みんな調子が悪くならないと病院に行かないような人たちだから、「人間ドックへ行こうよ」って言っていたんですよ。葛城さんもバスの中で体調が悪そうに見えたことがあったので、本人にも自覚があったと思うんです。それで行ってみたら、再検査に。再検査で原発性腹膜癌のステージ4だとわかったんです。――相当なショックだったろう。石田:入院前、夢スターで最後のコンサートは八戸でした。「天国行ったとしても、戻ってくるにしても、当分、飲めないからね」とビールをたくさん飲んでいました。僕は「待ってるからね」と。彼女は八戸のコンサートの後、(2001年)4月29日には日比谷野外音楽堂の「NAONのYAON」に出演して、入院したんです。――10カ月入院し、2度の手術を受けた。石田:今年4月に退院して、「歌えそう」ということだったので、5月のコンサートに入ってもらったんです。
復帰コンサート
――5月17日、成田で行われたコンサートだった。石田:今年3月に脳梗塞で入院されたあべ静江さんも一緒だったので、復帰の“お祝いコンサート”ということで出演してもらいました。でも、さすがに「ボヘミアン」を歌えるまでに復調していませんでした。この日は車椅子に座ったまま、ベット・ミドラーの「ローズ」1曲のみでした。――この日、彼女は「まだ本来の形じゃありませんが、元の葛城ユキに戻れるよう1歩1歩体力をつけて歌い続けます」と語ったという。石田:この後、葛城さんは体調を崩してしまったんです。余命は数週間と言われたそうです。でも、彼女は「ステージ上で死にたい」と言って……。――6月17日、昼の部(千葉市)、夜の部(柏市)に出演してもらうことに。石田:昼の部のリハーサルでは、彼女は息も絶え絶えで声も出ていなかったんです。もちろん車椅子です。とても歌える状態には見えませんでした。そこで、客席に向かって僕がアナウンスしたんです。「今日は葛城ユキの最後になると思います」と。ところが本番では、本来の30~40%くらいの声量だと思いますが、「ローズ」を歌ったんです。でも歌えたのは、3曲用意したうちの1曲のみでした。――夜の部は?
カッコ良かった
石田:「行くだけ行きます」と言っていましたが、僕が会場に着くと、楽屋に彼女の姿はありませんでした。やはり無理かな、と思っていたら、マネージャーから電話がかかってきた。「大変ですよ、社長」と言うので、「病院に行ったの?」と聞くと、楽屋裏の駐車場に停めた車にいると言うんです。すぐに行ってみると、車の中で横たわって酸素を吸っている彼女がいました。すぐに病院に行くように言うと、彼女は「社長、歌わせて。ステージに上げて」と言うんです。――それどころではないはずだ。石田:そうですよね。でも僕は、葛城さんからいつも、「命がある以上、歌いたい」と聞かされていました。ですから、夜の部のコンサートを一部変更して、彼女のコーナーを作ったんです。僕がステージに上がり、「もしかすると彼女の命は(残り)数時間しかないかもしれない。驚くかもしれませんが、これが今の葛城ユキです」と紹介しました。――車椅子はほぼ横倒しとなり、まるで介護ベッドに寝ているような状態だったという。
石田:もう歌える状況ではありませんでした。客席からの声援を受けて「ありがとうございます」と言うのが精一杯でした。――これが亡くなる10日前である。石田:でも翌18日に、葛城さんから電話があったんです。「昨日はありがとう! 元気出ました」と、本当に元気な声だったのでビックリしたんです。そして「社長にも、みんなにも、ご迷惑をお掛けしました」と言うから、「みんなわかってるから大丈夫」と伝えました。すると、「社長に恥をかかせてしまった。昨日はちゃんと歌えなかった。だから、次は……」と話していました。――27日、石田社長に電話した後、彼女は帰らぬ人となった。石田:「ステージの上で死にたい」と口にする人はたくさんいます。葛城さんはあの状態で、本当にそれを貫いた。最期までカッコ良かったと思います。
デイリー新潮様より引用
2018年3月26日に「夢のスター歌謡祭」姫路公演の際にいただいたサイン↓
ブログでは紹介していませんでしたが、その翌年(2019年6月18日)にも、葛城さんにお会いする機会があり、その時はツーショットを撮っていただきました↓
葛城ユキさんのご冥福をお祈りいたします。