仕事の成功か、生涯の伴侶か 朝ドラ「スカーレット」片方しか選べなかった昭和の女性たち | かなこの「恋はときどき」

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いまどき男女の恋愛事情と、ドラマや映画の批評を、ときどき更新します。

いつも読んでくださっていた皆さま、元沢です。長らくのご無沙汰すみません。

個人的な事情で急に忙しくなってしまい、毎日の投稿が難しくなってしまいました。ので、これからは、できるタイミングでの投稿を目指します。

タイトル通りの「ときどき」になってしまいますが、ご寛恕ください。

では久しぶりのドラマ評、どうぞお読みください。

 

NHKの朝ドラ「スカーレット」は今、おそらく朝ドラ史上初の「働くシングルマザー」を主人公に据えている。そのことで、おそらく初となる離婚家族の暮らしぶりと、シングルマザーの揺れる内面とが描かれている。2月8日放送の第108回では、主人公が「大切なものを失った」とナレーションが語った。それは、主人公の喜美子(戸田恵梨香)が、仕事での成功と引き換えに、生涯の伴侶を失ったという意味だ。この当時、現代以上に、女性が仕事と家庭の両方を手に入れることは難しく、仕事か家庭かは二者択一だった。

 

劇の舞台である昭和の時代、歯を食いしばってでも、続けたいほどの努力と覚悟と根性がなければ、女性が仕事で成功することは難しかった。当時の女性は、男性の3倍働いてようやく、同じ程度に認めてもらえると言われたものだ。結婚よりも仕事を選んで、夫も子もなく勤め上げて、生涯を独身のまま終える女性も珍しくはなかった。

 

その点、結果的に別れてしまったものの、一度は理解し合える相手と出会えて結婚し、息子ももうけ、その子が手元に残ってくれた喜美子はむしろ、恵まれている方かもしれない。だって喜美子は夫とは別れてしまったが、子供もいるし、仕事でも成功したのだ。

 

もちろん、それでも「失った」ものの大きさと大切さを思い知って、ショックを受けたり落ち込んだりする日もある。でもそれは、誰の人生にも必ず訪れる。人生の岐路を経てから、その後に引き起こされた結末を引き受ける時に感じる痛みだ。ことの大小は別として、何かを選択した後で、人はみな、選ばなかった方の道を思って、後悔したり迷ったりするものだから。

 

才能があって伴侶を失った人生と、才能はなく伴侶のあった人生。どちらが幸せだと感じるかは当人次第だが、喜美子の状況は前者になった。もちろん才能も伴侶も、両方を手に入れられる恵まれた人もいることはいる。だがたいていは、どちらかしか選べないし、どちらも手に入らない人生だってある。問題は、どんな人生にしろ、その状況を認め、引き受けた後の生き方だろう。喜美子の場合は、今後どれほど孤独な老後が待っているにしろ、自らの才能と向き合っていくしかない。それが、才能に恵まれた人間の宿命だからだ。

(2020.2.8、元沢賀南子執筆)