お金のための仕事か、好きなことか 朝ドラ「スカーレット」父娘で労働観の違い、背景に社会の変化 | かなこの「恋はときどき」

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生活のため、お金を稼ぐためにしなきゃいけない仕事と、やりたいことを実現しつつお金をもらえる仕事。働く目的が金銭(経済的な理由)にあるか、自己実現(内面的な理由)にあるか、という価値観の違いだ。仕事をするという点ではどちらも同じで、どちらの方が偉いとか、尊いとかいうことではないはずだ。だが、おうおうにして後者を目指すことがもてはやされ、前者にとって後者は、羨ましくも眩しく、妬ましい働き方なのかもしれない――朝ドラ「スカーレット」11月29日放送の第53話を見ていて、そう思った。

 

 この回、主人公の喜美子(戸田恵梨香)が帰宅すると、父(北村一輝)と母(富田靖子)が待ち構えている。喜美子が働く会社から絵付けの仕事が消えると聞いたといい、町の人みなが、先生も弟子たちも首になると言っている、喜美子も首になるのではないかと心配している、というのだ。噂しているという「みんなって誰?」と、喜美子は両親に食ってかかる。

 

クビになるのではない、「新しい仕事を始めるんや!」と言う喜美子に、父が「それがクビっちゅうんや!」と畳みかける。すると、喜美子は怒って怒鳴る。

 

「クビやない言うてるやん! 新しいことに挑戦するんや! 深先生は長崎行って絵付けを一から学ぶんや。一から学ぶんやで。お父ちゃんわかる? どんだけすごいことか。深先生は弟子になるんやで。そんなことできる? いくつになっても学ぼうとしてるんや。やりたいことやろうとして、好きなこと追いかけて。いくつになっても深先生は。深先生は、すごい先生や! 世間がなんと言おうと、素晴らしい人間や!」

 

 一気に言い募る喜美子。お父ちゃんわかる?という言い方は、深先生のことは尊敬している一方で、父のことをバカにしているようにも聞こえる。それは父を怒らせた。一呼吸の間黙ってから父は、一見関係なさそうに、静かに、自分がしている運送の仕事は汗との闘いだと話しだす。拭いても拭いても、汗がだらだら流れて、あせもができるほどだと。そして言う。

 

「ほんでも、運ばなあかんのや。仕事やさかいにな。お前、世間の何がわかっとんねん。え。世間のどんだけの人間がやりたいことやってると思っとんねん。好きなことを追っかける。それで食える人間がどんだけおる思うてんねん。え?」「(悲しそうな顔して)そんな、これまでいっぺんも、ほんまに、わーおもろい、好きやー、好きで好きでたまらんわー、て、そんなん思ったこと、いっぺんもあらへんわ。おもろいわけないわ。仕事やもん。ほんにいやや思うわ。とんでもない。どんだけ一生懸命やってもな、一生懸命稼いでも、……家庭科の先生なりたい言う娘の願いも聞いてやられへんねん」

 

その言葉を、隣の部屋で、起きてしまった妹が聞いていた。妹は成績もよく、短大を出て家庭科の教師になりたいから高校に行きたいと言っていたが、進学させる金がないから中卒で働きに出ろと父が言い、夢を諦めさせていた。父は続ける。

 

「……恥ずかしいわ。ここだけの話、ほんま、ほんま情けない思うわ。(溜息をついて)先生みたいな、深野先生みたいな人間だけが素晴らしい人間や思うんやったらな、…出てってくれ。はよ出てってくれ、ほんま」。そう言うと、父は大きく溜息をついて部屋を出て行く。

 

 喜美子が言うことももっともだし、父の言うこともまた真実だ。仕事には、「生活のため、お金を稼ぐために」する仕事と、「したいこと・好きなことで、お金を稼ぐことにもなる」仕事がある。どちらが上とか下とかではなく、仕事観の違いだ。たいていの場合、後者のほうが前者に比べて稼ぎは少ない。(中には、「好きなことは趣味のままでいい、お金の道具にしたくない」と考えて、「お金のための仕事」と「好きなこと」を峻別して、あえて割り切って「好きじゃない」ことで「稼ぐ」ためだけに仕事をしている人もいるかもしれないが。)

 

喜美子のように、仕事が「好きなことを実現する」ことではない場合、父が言う通り、労働はしばしば単なる苦役でしかない。ただ生活のため、お金を稼ぐためだけに働くのならば、モチベーションも上がらないだろう。嫌々働くなら生産性も低いままかもしれない。すべきことはきちんとこなしていたとしても、好きではない業務ならば楽しくはないに違いない。そういう仕事に就いている人も多いだろう。いや、もしかしたら、ほとんどの人がそうかもしれない。

 

 ただ、一方で喜美子も、最初から「好きだから」と選んだ仕事に就けたわけではなかった。喜美子と父との最大の違いは、今の仕事を「好きになれる」能力があるかどうか、だ。たとえどんな仕事だったとしても、喜美子は、いま目の前にある自分のタスクに、全力で向き合い、そして自分の仕事に誇りを持ち、その作業や労働の中で「好きなところ」を見つけていける。大阪で下宿屋の女中をしていた時がそうだった。結果的に、帰って来いという父のわがままで実家に戻ったものの、喜美子は下宿屋でずっと働き続けたいと思うほどに、その仕事に誇りを持ち精通し努力していた。喜美子は、そこがどこであっても、するのがどんな仕事でも、その場所で、その仕事に、喜びを見つけられる人なのだ。いわゆる「与えられた場所で花を咲かせる」ことのできる人なのだ。

 

ただし、喜美子が「好き」を仕事にしたいという気持ちの背景に、昭和のこの時代ならではの息吹を感じる。「したいことを仕事にする」「好きなことで稼げるようになる」という生き方は、喜美子が青春を過ごした高度成長期ごろから、日本で一般的になった。当時、社会は活気にあふれ、景気は右肩上がりで良くなっており、「夢は努力すれば叶う」「明日は今日よりもっといいことがあるはず」「明るい未来が待っている」と、人々はみな無邪気に信じられた。将来が明るいものだと信じられるからこそ、皆は努力し、「好きなこと」で「お金を稼ぐ」生き方を目指した。社会がよりよくなるなら、したいことを目指した方がハッピーになれる、と夢を見られたわけだ。

 

人は時代からは逃れられないのだなあ、と、改めて思わされる。喜美子と父の労働観の違いを見せつけられるにつけて。

(2019・11・30、元沢賀南子執筆)