遠いと美しくなる、家族や恋人との距離感 ドラマ「女子的生活」 でも親は子の幸せを願う | かなこの「恋はときどき」

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 トランスジェンダー女子みき(志尊淳)を通して、現代を切り取るドラマ「女子的生活」(NHK、金曜22時~)。1月19日放送の第3回のテーマは、家族との距離感。あえて距離を取ることで関係性が保てる一方、時には近づいてぶつかることで分かり合えることもある、と示された。

 

 みきは、心は女性だが体は男性、そして恋愛対象は女性というトランスジェンダー(TG)。ゆい(小芝風花)とお泊りデートをする仲だが、ゆいには「最悪地元で結婚できればいいや的な」(byゆい)遠距離恋愛の彼氏がいる。ゆいは、遠く離れている彼氏は、すでに故人の思い出みたいだと言う。「遠く離れてると、存在が薄くなるって感覚あるよね」。電話せずメールだけ見ていると、現実の存在なのか不確かになると言う。「生きてるのに、すでに思い出みたいにしてたかも。遠くて、きれいな思い出

 

 同じように遠い存在が、みきにとっては実家の父母と兄だ。ほぼ没交渉で、いま女性装で生きていることは伝えていない。郷里に帰る必要がある時には男性の恰好でしか行かない。ひょんなことから同居中の、高校時代の同級生、後藤(町田啓太)の方が家族よりも近しい存在だ。会社の同僚には後藤について、「トラブルも一緒に笑い合えるって、なんか家族みたい」と評されるほどだ。

 

 その故郷に、突発的な仕事で行くことになったみき。仕事先の女性デザイナーが、同居の母に支配されているのを見て、おせっかいに「距離を置いてみたら」と助言してしまう。ゆいの例を引いて、離れて暮らす現実感が希薄になって不思議と「きれいに」見えるようになるものだ、「生きているのに思い出みたい」になる、と話す。「良い感情も悪い感情も、近くにいるからこそ」「無理して一緒にいる必要ないんじゃないかな」

 

 ところが帰りの電車が雪で運休になり、みきは偶然、父と再会してしまう。「幹生か」。さらに父を迎えに来た兄にも。かつて自分の存在を唾棄していた兄は、「そんな恰好で」帰って来て誰かに見られたらどうするんだと、みきを責める。自分も親も「悩んで苦しんでた」と怒りをぶつける。「ちゃらちゃらした」服で「まともな仕事なんかしてないだろう」「逃げて」とあざける

 

さんざん罵られた後で、みきはついに兄に反撃する。こういう格好は、好きだからしているのだ、逃げているのではない、と。みきに殴り掛かろうとする兄を、父が止める。「女に、手を上げるもんじゃない。一番苦労したのは、幹生なんじゃないのか」。手を止めた兄は「家族を不幸にして」とつぶやくが、父はみきに聞く。「お前は、不幸なのか、幹生」。みきは答える。「いや、今は別に不幸なわけじゃない」「幸せなのか」「はい」「なら、いい。子供の幸せを願わん親なんておらん。俺は俺の子どもが不幸になってほしいとは思わん。それはもちろん、お前(兄)も含めてのことだ」

 

子どもは自分のことしか考えない。みきの兄は、自分も親も、みきのせいで悩み苦しんだ、と言ったが、実際には自分が苦しかっただけだ。それも世間体を気にして、身内にゲイがいるのが恥ずかしいと思っただけ(劇中では兄は「ホモ」という差別的な言葉を使っていた。みきは本当はトランスジェンダー<TG>なのだが、兄はゲイとTGの差も分かっていないし、おそらくその差を知る気もないだろう)。みきがどう感じていたかは思いも至らない。言葉では親を引き合いに出しているが、誰のことを考えているかといえば、自分のことしか考えていない

 

その一方、親は子供が幸せになることが一番の望みだ。だから父はみきに「幸せか」と聞き、幸せならそれでいい、とつぶやく。みきの想定に反して、時間はかかったのかもしれないが、父はみきがTGであるということを受け入れたのだ。いや、TGについてはよく分かっていないかもしれない。それでもみきはみき。我が子ならば、どんな人生を選ぼうと、親としては丸ごと受け止め、その幸せを願うのみだ。

 

だから帰り際、父はみきに声を掛ける。「体に気を付けてな。みき」と、初めて女の名で呼んでくれる。幹生が「みき」として生きることを認めたよ、ということを伝えたのだ。

 

 同居人の後藤は言う。「いつかきっとお互いにとっての気持ちのいい距離ってのが見つけられれば、それでいいんじゃないかな、って」

 

 その言葉は実は、すべての人間関係で言えるだろう。仕事でも学校でも、近所付き合いでも、近い人もいれば遠い人もいる。人によって距離感は違う。誰とでも近い人もいるだろうが、誰とも遠めが標準という人もいる。そして、距離の取り方は、家族一人ひとりによってもそれぞれ違うだろう。どのくらいの距離感が心地いいか。みきはおそらく、家族では母が最も近く、今回のことで父が少し近くなった。兄はまだ少し遠い。それでも最後の独白で、みきは兄にこう言う。「理解できない、分かり合えないと嘆くより、笑い合えるところだけ、一緒に笑いましょうよ、マイブラザー」

 

 分かり合えなくても、付き合わざるを得ないのが家族という存在だ。縁は切れない。ならば、共有できるところだけ共有する、という付き合い方だってありだろう。負の感情はさておき、プラスで共有できること――笑い合うこと――くらいは、分け合ってもいいだろう、家族なんだから。

 

 みきは、仕事でも、友達とも、家族とも、恋人とも、遠慮がちな距離感を置いている。近づきすぎず、相手に負担を掛け過ぎず。それがTGであるがゆえだとしたら、ちょっと寂しいが、異なる存在を写し鏡に、我がことを考えてみよう。翻って自分はどうなのか。家族とは、仕事の相手や仲間とは、友達とは、今どんな距離感で、それは心地いいポジションなのか、違う距離感でなくていいのか。人との距離感について、ちょっと考えさせられてしまった回だった。

 

(2018・1・20、元沢賀南子執筆)