悲しい江戸のお話。 | HGとマロのブログdeいいジャン
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さて話は変わり、今日も群馬をご紹介!
今回の【上毛かるた】の読み札は
【て】
『天下の義人 茂左衛門(てんかのぎじんもざえもん)』

この札は江戸時代の沼田藩に住んでいた
農民『杉木茂左衛門』を詠んだ札です。
時は17世紀後半、当時の沼田一帯は真田伊賀守(いがのかみ)
という人物が沼田城主として治めていました。

しかしこの伊賀守はなかなかの悪者で、
戦国時代に活躍した名門真田家の子孫ですが、先祖の顔に泥を塗るまさに暴君極まる残虐非道ぶり。

領民たちに重税を課し、本人は贅沢三昧。
通常の約5倍の大きさの「伊賀枡」を使って年貢
を取り立てたのをはじめ、
婚礼をすれば税えーん
子供の数に応じて税えーん
鍬に柄があれば税えーん
家に窓があれば税とえーん
滅茶苦茶な理由で領民に重税を課し、
納められない者は水責めの刑に処したといいます。
自分が贅沢な生活をしたいばかりに農民から破格の年貢を
納めさせ、村人たちを苦しめていたのです。

とはいえ人々はそれに逆らう事もできず、
皆飢えと貧しさに耐えながら生きていたのですが、
その悪政を何とかしようと立ち上がったのがこの茂左衛門。
領主以上の人に直接訴えることしかない。と覚悟を決め
沼田一帯の村人達を救う為に直訴文を用意して
当時の江戸の将軍:徳川綱吉に届け、
救いを願うことに成功したのです。
その結果、伊賀守は幕府から城や領地を
没収されるという厳しい処罰を受けました。
つまり農民たちを助ける事に成功!

しかし当時は領主以上の人に「越訴」「強訴」「直訴」は
統治の道を無視するものとして固く禁じられ、
仮に強行すれば事の内容如何にかかわらず死罪をもって対処した。
その為1686年、幕府への密告の罪として
茂左衛門自身も妻子と共に
磔(はりつけ)の刑に処せられてしまったのです。
自らを犠牲にして人々を苦しみから救った
正に義人ですね。笑い泣き

また当時、罪人として処刑された人間に対して
お墓を作る事も禁止とされていました。
その為、村人たちは茂左衛門の供養の為に墓ではなく石地蔵を作り、千日間、毎日感謝の気持ちで祈り続けました。
この時の石地蔵が祀られているのが『て』の絵札に描かれている
月夜野の『茂左衛門地蔵尊千日堂』です。

また茂左衛門を語る時、義民松井市兵衛の存在もあるのですが
それはまたの機会にパー