②ミュージカルに出演した話 | 吾輩はSLE&ヒルシュ類縁のアラサーである。

吾輩はSLE&ヒルシュ類縁のアラサーである。

腸管神経細胞僅少症(ヒルシュスプルング病類縁疾患)とSLE、肝硬変に振り回されつつ、七転八起しながら生きているアラサーです。
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こんにちは、るいです。前回の続きです。

 

全く未経験なのに、経験者のなかに飛び込んでミュージカルをやろうとしている私。果たしてどうなる…!!?

 前回はこちら 

 

 

 

 

先生からはまず、きちんとした姿勢をすること、腹筋と片足立ちの練習をするようにと言われた。これらを多忙な日や疲れた日以外は毎日自宅でやった。筋トレ、ストレッチ、ダンスの練習。トータル2時間を何日も続けた。くわえて活舌をよくするためのトレーニングも。一番つらかったのは、「こんなに頑張ってもできるようにならないんじゃないか」と思っていた時期。できるようになりたいから一生懸命やるけど、できるのかできないのか予想がつかない。上手くなっている気がしない。そういう時期が一番辛かった。振りは忘れるし、タイミングはあわないし、難しい振りはできない。私がいると舞台のクオリティが下がるのではないか、辞めるならば早くやめるべきではないか。やめた方がいい、まだ続けたい、その間で揺れながらしばらく自主練を続けていた。

 

衣装を決めるという段階で、まずい、これ以上進んだ段階で辞めるのは迷惑になる!と思って総監督の先生に相談をした。先生は「今日からレッスンに参加するひともいるから大丈夫!みんな仲間です、一緒に頑張っていきましょう」と言ってくださった。そして、どこがどうわからないのか分析することと、その対策も教えてくれた。今日からの人がいるからって大丈夫とは限らないし、そのひととはやることが違うんだよな…と後から思ったんだけど、それでもそのとき何だかホッとした。また、迷惑ではないかと考えるより観客に伝えることを大事にするようにと言われたことも。その日から少しずつまたモチベーションが上がって練習を続けることができた。「自分を信じろ、できる」なんてありきたりな励ましを何度も自分にかけた。声にだして言った。この言葉の意味を初めて理解した気がする。自分を信じてないと、できるって信じないと頑張れないんだってよくわかった。

若い子だらけのなかで不安になる日も勿論あった。そのたびに「今が一番若い」と言い聞かせた。5年経とうものならもうこうやって挑戦できるかもわからない(体調的にもモチベーション的にも)。もっと早く参加していれば、バレエを習っておけばとも考えた。でも、自分の人生のどのタイミングを振り返っても習い事をやる余裕はなかった。病気を抱えながら学校生活を送るだけで精一杯だった。始めのうちから私よりもスムーズに踊る小学生の彼女たちを見て、「人生って不平等だ」と心底思ったこともある。小学生のほとんどの時期を病院で過ごした私に、そんなチャンスは与えられなかった。…とはいっても小1のときに少しだけバレエ習ってたんだよねw全然身にはなってないけど。

 

練習の成果は確かにあった。6月末、最難関の曲を通して踊れるようになったし、歌詞につられてカウント(ダンスのリズムをとるためのもの)が頭から飛んだりもなくなった。クオリティはさておき、曲が流れると考えずに踊れるようにもなりつつあった。難しかったターンも一応リズムを乱さずにできる。この時点での課題は何だったかというと、より美しく正確に踊ること。1つ1つの動きを美しく見せること。曲のメッセージを伝えるように踊ること。そして、フォーメーション移動をスムーズにするだった。このフォーメーション移動は最後の最後まで長引く課題になる。これについては、この先のブログで。


 

つづく。ここまで読んでいただきありがとうございましたm(__)m