ヘルプマークをどう捉えるか? | 吾輩はヒルシュ類縁で短腸のアラサーである。

吾輩はヒルシュ類縁で短腸のアラサーである。

腸管神経細胞僅少症(ヒルシュスプルング病類縁疾患)により短腸症候群になりました。SLE、肝硬変に振り回されつつ、七転八起しながら生きているアラサーです。
日常のことや病気のことを書いていきます。
質問、コメントお待ちしてます(*´∀`)




ヘルプマークについては、こちら↓

こんにちは、るいです(*´∀`)

最近ヘルプマークをつけ始めました。

私は、「普通」に見えるように心の底で気にして生きてきました。
なので、ヘルプマークをつけることで、病気を持っていることや障害を持っていることが、周りにわかってしまうことへの抵抗がありました。

ですが、病院受診のときに混んだ電車に長く乗っているので、しんどかったり、足底腱膜炎のせいで足も痛かったりします。そして、優先席に乗ることへの気後れがありますアセアセ

ヘルプマークの知名度の低さや、偏見というか「これみよがし」などの心ない意見も散見するので、ますますつける気が失せそうでしたが、だからこそつけようと思いました。

私がつけることで、知名度UPの一端を担おうと思ったわけです。


以下は、私個人のヘルプマークについての考え方です。

私がヘルプマークをつけている大きな理由は、
予想外に体調が悪くなったり、最悪の場合は意識不明になるからです。
そのときその場にいあわせたひとが困らないようにつけています。

ヘルプマークの裏には名前や連絡先、かかりつけの病院、複数の病気を持っていることも書いてあります。

何かあったときのための、お守りの要素も大きいです。


前提として、ヘルプマークは上記ホームページにあるように、目に見えない障害や病気を持つひとのためにあります。

席を譲っていただけたり、声をかけていただければ喜んでご厚意受け取りますが、決してそれを「強要」しているわけではありません。
席を譲ってもらえなくても怒ったり不満を持ったりはしません。というのも、思いやりや厚意はせびるものじゃないからです。

ただ、現実的な問題として、障害や難病をもつ人(私も含む)の体は、重かったり痛かったり動かしにくかったりして、この社会を生きるには不便で苦痛を伴います。

優しくされて当たり前だとは思ってはいません。
でも、正直、障害があるなしに関わらず、みんな優しくされたいじゃないですか。
私も優しくされたいです。だから、私は人に優しくしたいと考えています。障害をもつ人だけじゃなく、お年寄りや妊婦さんとか、もちろん電車のなかで気分が悪くなったひととかも。

四六時中、特別な対応を求めているわけではありません。こういうマークがあって、どういう意味か知っていること、付けてるひとを見かけたら、せめて「あ、いるな。何か困ってそうなら助けてあげよ」くらいの軽い心持ちでいてほしいと思っています。私は、それくらいの心持ちでいます。

皆様は、ヘルプマークについてどう考えていますか?
良かったらコメントくださいねキラキラ



蛇足:先日、目の前に妊婦さんがいて席を譲りました。声をかけるのって勇気がいるけど、良いことしたなーって思うし、お礼も言われるし、勇気だしてみるものですねおねがい


ここまで読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m