◎「はたと」

「はたと(将と)」。「はた(将)」は変化出現を表現するが(→「はた(将)」の項・10月7日)が、「と」により思念的にそれが確認される「はたと」は、その変化出現の変動自体が表現される場合と、その環境出現が表現される場合がある。その他、平面的に何かを打ち叩いたりする擬音「はた」による「はたと」も有り得る。

「(藤原信頼は)義朝ト一ツ心ニナリテ。ハタト謀反ヲオコシテ…」(『愚管抄』:変化出現の変動自体が表現され、突然、現象たる動態が生じている。これは「平治の乱」(1159年))。

「越中前司初めは両人を一目づつ見けるが次第に近づく敵をはたと目守(まも)つて則綱を見ぬ隙に…」(『平家物語』:これは環境出現。動態がしっかりと存在化する。「はたと睨(にら)み」や「はったと睨(にら)み」といった表現もある)。

「…道にはたと続いて野も山も海も河も武者で候ふ」(『平家物語』:これも環境出現。道全体を埋め尽くすように兵がいる。「雪ははた氷り」といった表現もある。解け崩れる様子がない)。

「…恨(うらみ)のこともはたと忘れた」(『りうたつ(降達)小歌』:これは動態出現。『りうたつ(降達)小歌』は、1500年代後半頃の、俗謡というか民謡というか、そういったものが書かれたものなのですが、その冒頭に、「君が代は、千代にやちよに、さゞれ石の、岩ほと成りて、苔のむすまで」がある。つまり、これは一般に人が人を祝う祝い歌として歌われている)。

「『………』と申されけるに、大納言入道、はたとつまりて…」(『徒然草』)。

「『……』と申させ給ひたりければ、御手をはたと打たせ給ひて…」(『古今著聞集』:変化出現の変動自体)。

「南の戸より入らむと為るに、其の戸、はたと閉づ。驚て廻て西の戸より入る。亦、其の戸はたと閉ぬ」(『今昔物語』:これは「戸がバタッと閉じた」のような、擬音のようにも思われますが、変化出現の変動自体。とつぜん、思いもかけず戸が閉じた)。

「株(くひぜ)に跌(つまづ)き磤(はた)と転(まろ)べば…」(『椿説弓張月』:「磤(イン)」の字は雷鳴のとどろく音をあらわす。)。

「其の中に一人の人、思量有り。心強かりける者にて、立走るままに、此の鬼の頭の方をはたと蹴りたりければ」(『今昔物語集』)。

 

◎「はたばり」(動詞)

「はたばり(端張り)」。「はた(端)」は近傍の外も表現する(→「はた(端)」の項)。その近傍の外へと力や影響力が張ること。それが「はたばり(端張り)」。物的に横へ広がっていたり、初会的意味的に周囲に対し威勢があったりする。

「長(たけ)こそちと卑(ひき)かりけれ共(ども)、太(ふとく)逞(たくましく)こたへ馬の(耐久力のある馬の)、はたはりたる逸物也」(『源平盛衰記』)。

「執権の威をはたばり」(「浄瑠璃」『鎌倉三代記』)。