◎「はたすすき(枕詞)」

「はたはすすき(「将」は煤着)」。「はた(将)」はその項参照。「はた(将)」は思念的ななにごとかの変化出現を表現しますが、それによる躊躇や躊躇(ためら)いも表現する。ふと自分に疑問や疑惑が浮かぶ。「すすき(煤着)」は煤(すす)を受けるということであり、汚れることを意味する。「はた(将)」の状態になること、自分に疑問や疑惑が生じること、躊躇や躊躇(ためら)いが起こること、は煤に汚れるようなもの、恥、の意。躊躇なく秀でることを意味する「ほ(秀・穂)」や「ほふり(屠り)」に掛かる。

穂が旗のようになびく「はたはすすき」という一般的な語もある。

「はたすすき屠(ほふ)りわけて 三(みつ)撚(よ)りの綱(つな)うちかけて:波多須々支穂振別而 三身之綱打挂而」(『出雲風土記』この場合の「ほふり」は生体の身体一部を切り離すことを意味する。これは国引き神話)。

「答(こた)へて曰(のたま)はく 幡荻(はたすすき)穗(ほ)に出(で)し吾(われ)や、尾田(をだ)の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)に所居(を)る神(かみ)有(あ)り」(『日本書紀』)。

 

◎「はだすすき(枕詞)」

「はぢはすすき(恥は煤着)」。「すすき(煤着)」は汚れを受けることを意味する。恥(はぢ)は煤(すす)をまとうようなものだ、恥は汚れだということ。恥ずかしさで臆したりもしない、汚名たる恥は濯ぐ。そうした誇(ほこり)をもって生きていることが表現される。この語が秀でることを表現する「ほ(秀・穂)」や「くめのわくご(久米の若子)」や「うら(裏(心)・浦)」にかかる。

「はだすすき(皮為酢寸)穂(ほ)には咲き出(で)ぬ恋をぞ我がする玉かぎるただ一目のみ見し人ゆゑに」(万2311:旋頭歌)。

「新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき(波太須酒伎)穂に出し君が見えぬこのころ」(万3506:「新室(にひむろ)のこどき」は新室で蚕の世話をする忙しい時期ということでしょう)。

「はだすすき(婆太須酒吉) 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる宿を…」(万3957:これは挽歌。萩の花咲く家を去って行ってしまった、ということ)。

「はだすすき(皮爲酢寸)久米の若子(わくご)がいましける 一云 けむ 三穂の石室は見れど飽かぬかも 一云 荒れにけるかも」(万307:なぜ「皮爲(かはなす)」が「はだ」かといえば、「肌(はだ)」と同音いうこと。久米部にかんしては『古事記』や『日本書紀』の神武天皇の条に久米歌がある)。

「かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき(波太須酒伎)宇良野(うらの)の山に月片寄るも」(万3565:「うら」に「うら裏・心(裏・心)」がかかり、そこに月が傾き沈みゆく状態になっている)。

「はだすすき(波太須珠寸) 尾花(をばな)さか葺(ふ)き(尾花逆葺) 黒木もち 造れる室(むろ)は 万代(よろづよ)までに」(万1637:この「はだすすき(波太須珠寸)」は枕詞ではない。これは「はなづらすすき(花連す透き)」でしょう。花のつらなりは透(す)き、ということであり、「す透(す)き」は、「す」の連音でその多数と連続が表現される。これは、薄(すすき)の多数の穂花の印象。そんな尾花(をばな:ススキ)を「さかふき(逆葺)」ということですが、「さか(逆)」であることにより、その花が無数に舞い降りて来るような印象になる。また、この「さか」には「栄(さか)」もかかっているでしょう。豊かに葺(ふ)いている、ということ。こうした「さか(栄)」の用い方には「さかはえ(佐加波延:栄映え)」(万4111)などがある。この歌は、新築の室(むろ)の新築祝いでしょう)。