◎「はす(斜)」

「はしふたかひ(端二支ひ→はすかひ)」。「た」は無音化した。この「はすかひ」により「はす」が斜めを意味する言葉として独立した。「はしふたかひ(端二支ひ)→はすかひ」(端(はし)で二を支(ささ)える)は、端で直交する二の線状物の双方を維持しその直交を安定させること・もの。この「はすかひ」は直交を二辺とする三角を形成するようその材に設置され、斜めになる。「はす(斜)」と「ななめ(斜め)」はどう違うか、といった問題もありますが、「ななめ(斜め)」は物的位置関係だけではなく、意味や価値にかんしても言われるのに対し、「はす(斜)」は物的形象や位置関係にかんし言われる印象が強い。

「只一本の窣都婆(そとば)となりて、中より筈(はす)に切口の、太刀跟(あと)見ゆる羅漢杦(かうやまき)」(「読本」『椿説弓張月』:「跟」は「かかと(踵)」の意であるが、「痕」のつもりか。原文に「あと」という読みがふられている)。

 

◎「はすは」

「はす」の、「す」のない、「は」。それが「はすは」。(植物の)「はす(蓮)」の、「す」のない、(語として)上だけの(表面だけの)、「は」。「す」は「素」であり、飾りや夾雑物のなく、純粋であること。その花は美しく、仏教の蓮華座にもなる(極楽浄土に往生した者がそこに坐すという)「はす」。その「はす(蓮)」の、「す(素)」のない、汚れのない純粋さなどない、(印象や評価として)単なる上(うえ:表面)だけの、「は」。それは単なる「葉(は)」でもあり、蓮(はす)のそれは薄く水に浮かび、風が吹けばひらひら反(かへ)る確かな信のおけないもの。この「はすは」という語は、華(はな)やかで派手な印象はあるのだが、信のおけない、尊重の念の起こらない、浮薄な、人の言動やあり方を意味する。「はすば」「はすわ」「はすっぱ」とも言う。「はすわ」は「はすうは(はす上)」という言い方もあったのかもしれない。意味は変わらない。昔、江戸時代、商品流通の中継業たる「とひや(問屋)」(のちの「とんや(問屋)」)なる業があり、これは商人移動の中継、すなわちその宿泊、も業としておこない、この商人宿たる「とひや」で働く女に「はすは」や「はすはをんな(はすは女)」と言われる女がをり、これは夜の相手もした。ようするにこれは、その女たちの風俗が、その身なりや化粧や言動が、派手で、刹那的な陽気さのある、軽佻浮薄なものだったのだろう。商人相手の酒の相手や夜の相手で、そうとうに金回りもよかったのかもしれない。

「一 下方七十らう、すくれてはすはにつくり…………前へ出る事無用」(『池田光政日記』(承応4(1655)年))。

「此處(ここ)も稻荷(いなり)の神社(かみやしろ)。佛神水波(ぶつじんすゐは)のしるしとて、甍(いらか)ならべし新御靈(しんごりやう)に、拜(をが)みおさまるさしもぐさ。草(くさ)のはすはな世(よ)にまじり、三十三に御身(おんみ)をかえ、色(いろ)で導(みちび)き情(なさけ)で教(をし)へ、戀(こひ)を菩提(ぼだい)の橋(はし)となし、渡(わた)して救(すく)ふ觀世音(くわんぜおん)…」(「歌舞伎」『曽根崎心中』:これは浄瑠璃であり、ましてや近松門左衛門であり、言葉のもちいかたは非常に技巧的です)。

「はすはといふは、女にかぎらず風流過てばし(ばかし:それだけ)なるかたちを、はすはなる躰などいふ」(「評判記」『色道大鏡』)。

「『…早う嚊(かか)呼びたい。……あまりはすはでない、じつとりとした女子(をなご)が有(あつ)たら世話してくだんせ』」(「滑稽本」『浮世風呂』)。

「蓮葉女(はすはをんな) よろづかるゆきにして、麁相(そさう)な道具(だうぐ)を蓮葉(はすのは)といふごとく、派手(はで)なる下女(げぢよ)を蓮葉(はすは)といへり。分きて、姿のいたづら意(こころ)まかせに、色つくろい、諸国の商人(あきんど)の集(あつま)る問屋の下女を問屋蓮葉(とひやはすは)と名にあらはなり。風俗大びたひに…」(「浮世草子」『好色貝合』:この「問屋蓮葉(とひやはすは)」は派手な独特の風俗だった)。

「蓮葉 問屋女也」(「俳諧」『反故集 人』)。