・「はしたて」

「はしたて(はし立て)」。この「はし」は、たとえば川を渡る、「はし(橋)」ではなく、高所と低所を移動する「はし(階)」。「たて(立て)」は動詞「たち(立ち)」の他動表現「たて(立て)」の連用形。つまり、「はしたて(階立て)」は、高所と低所を移動する「はし(階)」を立てること・現(あらは)すこと。それが何を意味するのかというと、それにより、日常を抜け、高い世界へ、より広い(遠望できる)、豊かな世界へと行ける。

「故(かれ)、諺(ことわざ)に曰(いは)く、「天(あめ)の神庫(ほくら)も樹梯(はしたて)の随(まにま)に」といふは…」(『日本書紀』:あなたが得る天(あめ)の坐(くら)はあなたの「はしたて」次第。これは古代に古くから言われている諺(ことわざ)だという)。

 

・「はしたての(枕詞)」

この枕詞は「~倉椅(くらはし)」、「~険(さが)しき山」、「~熊来(くまき)」といった用い方がなされる。

「はしたての(波斯多弖能) 倉椅山(くらはしやま)を 険(さが)しみと 岩かきかねて(岩に手をかけかねて) (妹が)我が手取らすも」(『古事記』歌謡70:奈良県桜井市に「倉橋(くらはし)」という地がある。つまり、これは地名。「倉椅山(くらはしやま)」は未詳。未詳ですが、登るには険しい山らしい。この地名「くらはし」に「くらはし(倉階)」がかかる。古代の「くら(倉)」は高床であり、そこへ入るには階段状の設備を設置する。これが「はし(階)」。上記『日本書紀』の諺(ことわざ)にあるように、「はしたての」は、あなたが得る世界はあなたの「はしたて」次第ということであり、その「はしたての」倉椅山(くらはしやま)は険しく、「はしたての倉椅山(くらはしやま)」は、その危険や困難にどう対応するかで未来が決まる困難にあることを意味する)。

「はしたての(波斯多弖能) 倉椅山(くらはしやま)は 険(さが)しけど 妹(いも)と登れば 険(さが)しくもあらず」(『古事記』歌謡71)。

「はしたての(破始多氐能) 険(さが)しき山も 我妹子(わぎもこ)と 二人(ふたり)越(こ)ゆれば 安蓆(やすむしろ)かも」(『日本書紀』歌謡61)。

 

「はしたての(橋立)倉橋山に立てる白雲見まく欲り我がするなへに立てる白雲」(万1282:「はしたて」し、見上げると見たかった白雲がたった。旋頭歌(※下記))。

「はしたての(橋立)倉椅川(くらはしがは)の石走(いはのはし)はも男盛りに我が渡りてし石走(いはのはし)はも」(万1283:はしたてのくらはしで何度も石走(いはのはし)を渡った若い頃を思っている。それもあるはずの世界をめざして登る「はしたて」の努力だった。旋頭歌。この歌、原文「石走」は、いしのはし(石の橋)、と読むことが一般)。

「はしたての(橋立)倉橋川(くらはしがは)の川のしづ菅(すげ)わが刈りて笠にも編まぬ川のしづ菅」(万1284:「はしたて」の努力でしづ菅(すげ)を刈り、笠にさえ編まず無駄に死なせてしまった。この刈った菅(すげ)は(女との)寝床にしたということでしょう。旋頭歌)。

 

「はしたての(堦楯) 熊来(くまき)のやらに(海に) 新羅斧(しらぎをの) 落し入れ わし かけてかけて(河家𫢏河家𫢏) な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし」(万3878:この「はしたて」で上へ登るのは下から逃れるため。つまり、危機や困難を避けるため。「熊来(くまき):熊が来る」が危機や困難を表現する。そしてこの歌の主が「はしたて」としておこなったことは愚かを極めたものだった。それは、都合よく期待しただ事態を見ていること。海に落した斧が、待っていれば浮かんでくると思った。「わし(和之)」は、我(わ)は廃(し)ひ(私は愚かだ)、でしょう。一般にはこの「わし(和之)」は、わっしょい、や、よっこらしょ、のような、囃(はや)し詞(ことば)と解されている。「かけて(河家𫢏)」は、未知の事態に意思交感し、ということであり、けっして(決して)、の意。「なかし(泣かし):原文は、「泣」ではなく「鳴」」 は「なき」の尊敬表現。全体は、歎(なげ)き騒がないでくれ、のような意味なのでしょう)。

「はしたての(堦楯) 熊来(くまき)酒屋に まぬらる(真奴良留)奴(やつこ) わし 誘(さす)ひ立て 率(ゐ)て来なましを(誘いあわせてみんなで私を見にきたらどうだ) まぬらる(真奴良留)奴(やつこ) わし」(万3879:「まぬらる(真奴良留)」は、「まぬれやる(真解れやる)」であり、全体が解(と)け崩れたようになっているということであり、泥酔している、ということでしょう。この語、一般には、たぶん「のり(罵り)」の影響により、ののしられ、のような意に解されている)。

 

※ 旋頭歌は、語調が五七五七七、ではなく、五七七五七七の歌。