◎「はしけ(艀)」
「はしいききえ(橋行き来得)」。橋として船と陸との間の行き来を得るもの、の意。なんらかの理由により、陸自体や陸から伸ばされ設置された船着き場に接岸できない場合、沖に停泊したまま、その荷などの往来を行うため船と陸との間を行き来する小船を言う。「はしけ」という語が、そうした作業をおこなうことを意味し動詞化もしている。
この語の語源。一般に。英語などにある「barge(バージ)」だと言われている。
「𦨓を一艘引き下し…」(「御伽草子」『中書王物語』:この「𦨓」は船に積載している小船ですが、事実上「はしけ」。ここに書いたのは1908年・精華出版の原文活字版。『中書王物語』は室町時代。「はしけ」という語がいつごろからあるのか、正確には良くわからない。当初は「はしけのふね(はしけの舟)」といった言い方がなされ、「はしけ」という独立した語はなく、その作業専用の舟もなかったかもしれない。「はしけ」には、大船にそれ用の小船が積載されている場合と、それ用の船が港に常駐している場合があるが、港にそれ専用の船が常駐するのは、経済流通システムが相当に発展し完備した相当後期のことであろう。たまたまその時その港にいた小舟に荷や人の運搬往来を依頼しても、それは「はしけ」。
古く漢字表記は「艀船」「脚船」などが書かれ、「艀下」(明和4(1767)年)などは、読みは「はしけ」であろう。なぜ舟が浮くという字なのかというと、それは海を渡り航海するのではなく、船着き場などに浮かび、到着したり出発したりする船を廻(まわ)り、荷などの積み下ろしをするから。
「傳馬船又艀 ハシフネ 元船ニツリアイ造ル也」(『家舶縄墨私記』(文化十(1813)年):「はしけ」は「はしふね」とも言われ、別名「傳(伝)馬:テンマ」。「傳(伝)馬:テンマ」という語は律令の昔からあり、各駅に備えられる幹線移動用以外の、支線移動というような用い方をする馬。「伝馬船」という名称はその海上輸送への応用)。
◎「はしけやし」
「はしけやはし(愛し、異や愛し)」。「愛(は)し」、「け(異)」に(尋常ではなく、こんなことはあるのか、とおもうほど異例な)「愛(は)し」と、深い心情にあることを表現する。この「はしけやし」は「はしきやし」(9月2日)との混乱が起こっている。
「天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし(波之家也思) 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて…」(万3691) 、「はしけやし(波之家也思)妻も子どもも高高(たかだか)に待つらむ君や島隠れぬる」(3692:この3691、3692は新羅へ派遣された使者がその旅の途上で亡くなった際の挽歌。「はしけやし 家…」と言った場合、その家は、もう永遠に帰らない夫を待つ妻や子のいる家)。
「愛(は)しけやし(波斯祁夜斯) 我家(わぎへ)の方(かた)よ 雲居(くもゐ)起(た)ち来(く)も」(『古事記』歌謡33:『日本書紀』歌謡21にほとんど同じ歌が「はしきやし(波辭枳豫辭)」という表現である)。
「はしけやし(波之家也思) さからぬさとを(不遠里乎) 雲居にや 恋ひつつ居らむ 月も経なくに」(万640:二句「不遠里乎」は一般に、遠(とほ)からぬ里(さと)、や、間近(まぢか)き里(さと)、と読まれている)。
「はしけやし(波之家夜之) 君がただかを ま幸くも ありたもとほり 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見しめとぞ」(万4008:「ただか」は、再起する記憶)。
「…相見れば 常初花(とこはつはな)に 情(こころ)ぐし めぐしもなしに はしけやし 我(あ)が奥妻(おくづま)…」(万3978:都を遠く離れた任地で都にある妻を思っている歌)。
「…はしけやし(波之異耶) かくありけるか………住みよき里の 荒るらく惜しも」(万1059:昔都だった地で往時の盛りを思っている歌)。
「級子八師 吹かぬ風ゆゑ 玉櫛笥(たまくしげ) 開けてさ寝にし 吾れぞ悔しき」(万2678:この歌は、風も吹かないのに櫛笥(くしげ)を開けて寝てくやしい(たぶん、男も来ないのに来ると思って開けて寝てしまった)、ということなのであるが、第一句「級子八師」は、「及子~」の意で書かれ、「及子」は、(岸へ)及(およ)ぶもの、という意味で、「はしけ(艀)」かもしれない。だとすると、全体の読みは「はしけやし」(風が吹かず船が岸につかない、という意味もある)。だとすると。万葉の昔から「はしけ」という語はあったということになる(→「はしけ(艀)」の項参照)。ただし、「はしけ(艀)」を「及子」と表現する中国語は、たぶん、ない。