◎「はしきやし」
「はしいきやはし(愛し息柔し)」。「愛(は)し」は形容詞ですが、「愛(は)しき息(いき)」のような、記憶化する確認の「き」は入らない。「およしを(老し男)」や「はしつま(愛し妻)」のような表現。「はし(愛し)」と漏れる吐息が柔らかく深い心情を表現する。亡くなった人を思い力の弱い息を吐き「はしきやし…」と感嘆するようなそれもある。この「はしきやし」は「はしけやし」との混乱も起こっている→「はしけやし」の項。
「はしきやし(愛八師)栄えし君のいましせば昨日も今日も吾(わ)を召さましを」(万454:これはある人が亡くなった際の歌)。
「たまほこの道は遠けどはしきやし(愛哉師)妹を相見に出でてぞ吾が来(こ)し」(万1619:恋しく懐かしい、という意味の「はしきやし」)。
「はしきやし(波之吉也思)吾家(わぎへ)の毛桃(けもも)本(もと)茂(しげ)く花のみ咲きてならざらめやも」(万1358:この歌は、すぐに豊かな実りが現れることへの夢見るような感銘か。それとも、花は咲いたのに、いまだに実がならず、そんなことはあるだろうか、という思いか。最後の部分は、花のみ咲いて、実はならないなどということはあるだろうか(必ずなるはずだ…))。
「級子八師 吹かぬ風ゆゑ…」(万2678:この歌の一句は、原文「級子八師」(西本願寺本)の「子」は「寸」の誤字であるとして、「はしきやし」と読まれていますが、これに関しては「はしけやし」の項。「級」を「はし」と読むのは「階」の意ということなのでしょう)。
◎「はしきよし」
「はしいきいやおほし(愛し息彌大し)」。「おほし(大し)」は数が多(おほ)いわけではない。規模が無際限に拡大し広がっていく印象であること。「はし(愛し)」(その項)という思いにより、それによる感嘆の息が無際限に広がっていくほどの印象であること。それが「はしいきいやおほし(愛し息彌大し)→はしきよし」。表現は「はしきやし」に似ている。
「はしきよし(伴之伎与之)かくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべなさ」(万796:亡くなった妻を思う挽歌)。
「山川のそきへを遠みはしきよし(波之吉余思)妹を相見ずかくや嘆かむ」(万3964:赴任先で病に伏し都に残る妻を思っている歌)。
「はしきよし(波之伎余之)今日の主人(あろじ)は礒松の常にいまさね今も見るごと」(万4498:宴席で主人を祝った歌)。
「はしきよし 我家(わぎへ)の方(かた)ゆ 雲居(くもゐ)立(た)ち来(く)も」(『日本書紀』歌謡21:雲が立つことが、その下に人の、恋しい人の、生活があるような、表現の歌になっている)。