◎「は(葉)」
H音は感覚的に触れる語感を表現し(下記※「H音の感覚感」)、この「は」はA音の全的情況感とともに情況全的に感覚的に触れる(現れる)情況になるものを表現する。「はり(張り)」の「は」に同じ。世界における落葉樹や草の春や初夏の芽生えと茂りの印象による。つまり、原意としては、木の葉や草の葉全体の名。それが、木の葉ならその一枚一枚の名にもなる。木(こ)の葉(は)の「は(葉)」は時間も表現する→「はは(母)」の項。
「狭井河(さゐがは)よ 雲立ちわたり 畝火(うねび)山 木の葉(は:波)騒(さや)ぎぬ 風吹かむとす」(『古事記』歌謡21)。
「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」(万1009)。
「葉 ………和名波 万葉集黄葉紅葉読皆毛美知波 草木之敷於茎枝者也」(『和名類聚鈔』)。
※ この「H音の感覚感」とは、環境との交感、原因に自己確認なく(原因が自己という確認なく)起こる交感、であり、それが「ふれ(触れ)」の「ふ」でもあり、何もない状態が、なにか有る、という状態になる発生感でもあり、それが「ふ(生)」の「ふ」でもあり、環境全的にそれがあれば「はひ(這ひ)」にもなる。また、たとえば山の風景があり、その「は」はその山という存在の環境との触れとなる表面であり、それは「山の端(は)」であり、それは環境と触れる域たる端(はし)の部分域という意味にもなる。
◎「は(羽)」
「は(端)」。平面的部分域たるもの、の意。これは元来は「はね(羽根)」が語頭だけで表現されたものでしょう。鳥の、哺乳類動物であれば全身皮膚表面の毛にあたるものが平面状になっているものや、鳥やある種の虫などの飛行に用いられる身体部位を言う。
「爾(ここ)に卽(すなは)ち其(そ)の海邊(うみべ)の波限(なぎさ)に鵜(う)の羽(は)を葺草(かや)に爲(し)て產殿(うぶや)を造(つく)りき」(『古事記』)。
「水鳥の鴨の羽色(はいろ)の春山のおほつかなくも思(おも)ほゆるかも」(万1451:これは「はいろ(羽色)」に「はひいろ(灰色)」がかかっているということか。言われている鴨(かも)は雄(おす))。
「羽 ……和名波 鳥翅也」(『和名類聚鈔』)。
「空蝉の羽(は)におく露の木(こ)がくれてしのびしのびに濡るる袖かな」(『源氏物語』:これは蝉(せみ)、といっても空蝉(うつせみ)、の羽根)。