「のりつよ(告りつ世)」。「のり(告り)」は時空普遍化する音(ね)たる言(こと)→「のり(告り)」の項(7月14日)。「つ」は空間的時間的同動・連動が生じることを表現する助詞(→「つ(助)」の項・2024年3月29日:「ときつかぜ(時つ風)」「あまつかみ(天つ神)」などにある「つ」)。「よ(世)」は経験経過を客観的存在として表現する(→「よ(世)」「ゆ(斎)」の項)」)。つまり、「のりつよ(告りつ世)」は、告(の)りたる世(よ)、時空普遍化する音(ね)たる言(こと)たる客観的存在として表現された経験経過、ということなのですが、この、「よ(世)」による時空普遍化は人と人との関係たる世の普遍化というだけの意味だけではなく、そうあることによる人の世と神の世の時空普遍化努力たる言(こと)、という意味でもある。そうである言(こと)が「のりとごと(祝詞言)」、それが発生的増強・増大感をもってなされれば「ふとのりとごと(太祝詞言)」。その内容はいつの世にもあらたなものが生まれる可能性はあるわけですが、記録されるその最古のもので、通常、国語の資料として『祝詞(のりと)』といわれるものは『延喜式』巻第八「神祇八 祝詞(ノトコト ノツト)」にあるものと藤原頼長の『台記別記』の康治元(1142)年11月条や本居宣長の『玉かつま』などに記録される「中臣寿詞(なかとみのよごと)」を言う。
「天兒屋命(あめのこやねのみこと)、太詔戸言(ふとのりとごと:布刀詔戸言)壽(ほ)き白(まを)して…」(『古事記』)。
「…乃(すなは)ち天兒屋命(あめのこやねのみこと)をして、其(そ)の解除(はらへ)の太諄辭を掌(つかさど)りて宣(の)らしむ……………………太諄辭、此(こ)をば布斗能理斗(ふとのりと)と云(い)ふ」(『日本書紀』)。
「中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと:敷刀能里等其等)言(い)ひ祓(はら)へ贖(あか)ふ命も誰がために汝(なれ)」(万4031:「のりと」の「と」が乙類「等」で書かれていますが、『古事記』などの表記から考えて甲類が正しい。ただし、いまここに書かれたのは一般になされている読み。これは大伴家持の歌であり、大伴家持が中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと)を言(い)ふことは不自然。これの原文は、「奈加等美乃 敷刀能里等其等 伊比波良倍~」ですが、読みは、「中臣(なかとみの)の太告(ふとの)りと如(ごと)言(い)ひはらへ~」でしょう。「如(ごと)」の前の「と(等)」は普通の助詞。「~のごと」といった表現はよくあり、「~とごと」という表現は他に例はないかもしれませんが、不可能ではない。「中臣(なかとみの)の太告(ふとの)りたるように言い、という意味)。
「…天(あま)つ祝詞(のりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ」(『延喜式』巻第八『祝詞』「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおほはらへ)」)。