◎「のら(野良)」
「のら(野等)」。「の(野)」は日常的な人の生活域から遊離した自然域を意味する。そこには草が生(お)っていたりする(→「の(野)」の項・6月11日)。「ら(等)」はR音A音により情況世界が表現される。情況世界とは環境世界。「のら(野等)」とは、野(の)の情況のもの。それは人の日常的な遊離した「の(野)」ではない。かといって日常的な生活域でもない。それは、人の生活域に属してはいるが、「の(野)」のような域。この語が、人の生活域ではあるが自然域たる「野(の)」のようなところ、田や畑、その周辺域(→「野良仕事(のらしごと)」「野良着(のらぎ)」)、一般的に、人の生活域にいるが人の生活に属していないなにか(→「野良犬(のらいぬ)」「野良猫(のらねこ)」)といった意味になる。
「…而(しか)るを大泊瀬天皇(おほはつせのすめらみこと)、射殺(いころ)し、骨(かばね)を郊野(のら)に棄(す)てつ」(『日本書紀』)。
「紅(くれなゐ)の浅葉(あさは)の野ら(のら:野良)に刈る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も吾を忘らすな」(万2763:「浅葉(あさは)」は、葉がそれほど深く生い茂っているわけではない草の、ということか)。
「野 ノ ノラ」「藪 ……オトロ ノラ ヤブ」(『類聚名義抄』)。
「朝六より前、野らへ不可出事」(『玉緒村上大森共有文書(天正十三(1585)年六月二十八日)・近江上大森惣分掟』:この「野ら」は田畑での仕事の意)。
◎「のら」
「ノウうら(能うら)」。「能(ノウ)」は、ことをなす力、といったような意味であり(字の原意は、動物の熊(くま))、「うら」は「うららか」などのそれであり、空虚、軽さ、そして、開放感も表現すれば、空しさも表現する((「大御酒(おほみき)にうらげ(宇良宜)」(『古事記』)などの「うら」(その項))。)。「ノウうら(能うら)→のら」すなわち、ことをなす力がそうした「うら」であるとはどういうことかというと、開放感があり軽いがなにも生み出さず空虚で虚しい。周囲や他者や結果に配慮した責任感や自戒(それによる重苦しさ)などなく、ただ浮かれたように気楽な生活状態でいることや人を意味し、「のら」や「のらもの(のら者)」が、怠け者、放蕩者、といった意味になり、さらには、まっとうに働きもせず、ゆすりその他の迷惑事や悪事で遊んで暮らすような者も「のら」と言われるようになる。「のらのら」という語もある。
「三五郎ただ一人のらのらとして(なにごともないかのように気楽に)立帰る。こりや痴呆(たはけ)。お末はどこに置いて来た」(「浄瑠璃」『心中天の網島』)。
「商売不精で仕事嫌い。のらのらふなふな。骨なしの中風やみ」(『松翁道話』)。
「…爰(ここ)、夜盗の学校とさだめ。………前髪立の野等(のら)には巾着切(きんちやくきり:スリ)を教へ、大胆者には追剥(おひはぎ)の働(はたらき)をならはせ…」(「浮世草子」『本朝二十不孝』)。