◎「ねばり(粘り)」(動詞)
助詞「ば」による「言はねばならぬ」等の表現がある。「ば」の前に否定があり、その否定が言われ、あること(A)が否定されればなにごとかが完成しない、という表現です(否定の否定が言われない、最初の否定だけの表現たる「ねば」もある→「世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(安良祢婆:鳥ではないから)」(万893))。つまり、なにごとかの完成、それによる満足のためには(A)であることが必要であり、必須・不可欠であり、なにごとかの完成のためには(A)であることに固執し、努力し、それを害することに対し抵抗しそれを維持しようとする。そうした状態になることが「ねばり(粘り)」。つまり、「ねばり(粘り)」は、上記のような意味の「ねば」の動詞化。何らかの動態に固執し、固執意思をもってある動態を離れない状態になることを表現する。ものの状態がそれに比喩されることもある。形容詞「ねばし(粘し)」の語幹もそれ。
「鯉のあつもの食ひたる日は、鬢(ビン)そそけずとなむ。膠(にかは)にもつくるものなれば、ねばりたるものにこそ」(『徒然草』:「鬢(ビン)」は結いあげた頭髪左右両側の髪。ようするに、整形した髪が崩れないということ)。
「…敵うくる時、我太刀、敵の太刀に付て、 ねばる心にして入也。 ねばるハ、太刀はなれがたき心…」(『五輪書』)。
◎「ねばし(粘し)」(形ク)
「ねば(粘)」(→「ねばり(粘り)」の項)の印象であることの表明。
「くすね革を大きにこしらへ、此松脂(まつやに)を取入て、いかにもねばく自似(あやか)れとて、ねりつれこそ帰りけれ」(「狂言」『松やに』)。