「ね(音)」。「ね(音)」は響きであり、相互的影響です(「ね(音)」にかんしてはその項・5月18日)。その相関的(相互関係的)影響作用、響き、人間的・社会的響き、影響、対象(商品)相互に現れる相関的(相互関係的)影響作用。それが「ね(値・価値)」。その相互関係的影響結果は対象と対象の交換比率となって現れる(対象相互の効果・「きき(効き):きき(聞き)」となって現れる)。その「ね(値)」を生じている何かから、(影響関係にある)他の何かへの全的完成・完成的一致を表現すると「あたひ(価)」になる。つまり、価値とは相互的効果(効き)であり相互関係だということです。何かの対象それ自体の絶対的価値は無い。それは価値として成立しない。
「『おのれはにくいやつの、………こがね(黄金)ののし附(つけ)にしてさゝするに依りて、附金(つけがね)の音(ね)を聞て来いといふたに、つきがねの音(ね)を聞て来るといふ事が有る物か』」(「狂言」『鐘の音』:「こがねののしつけ(黄金の熨斗附)」は金箔を張ること。息子の差初(さしぞめ:刀を帯びはじめる祝の儀)に刀に金箔を張ってやろうとおもい、下人に金(かね・キン)の値(ね)を聞いて来い、と言ったら寺の鐘(かね)の音(ね)を聞いてきた、という話)。
「『…かう致(いた)そ。マア五両付けておくりやれ。直(ね)がなったらば、明日屋敷から金子(きんす)持参致させう』」(「浄瑠璃」『夏祭浪花鑑』:売り買いの合意価(あたひ)が成立することを「ね(値)がなる」と表現している)。
「祢(ね)がなつたとは 相談ができたこと」(『新撰大阪詞大全』)。
「急な入用銭(ぜに)三貫(銭三千枚)。道具諸式を直(ね)にしてとつてくれといふことなれど…………直(ね)ができたら…」(「浄瑠璃」『伊賀越道中双六』)。