◎「ぬさ(幣)」

「ねふさ(音総)」。音(ね)の出るふさふさとしたもの、の意。この音(ね)は風の音であり、それとともに何かがやって来る。なぜ「ね(音)」なのか、であるが、それは、「ねぎ(祈ぎ)」(その項)という語にもあるそれ。「みてぐら(御手坐)」という語(これは手だけが現れるらしい)もありますが、後世では一般に「ゴヘイ(御幣)」と言うようになり、形も、古代のそれは、相当に太い柄の先に麻の繊維や木綿(ゆふ:楮(かうぞ)の皮の繊維。色は純白)が大量につき、まさに、振れば風が起こり風の音(ね)を起こすようなものですが、後世では、柄の先に紙垂(しで)をつけた形式的なものになっていく。旅に出る際、日常の生活域から出るそこで、行くへが守られ平安であることを祈り、幣(ぬさ)と供物を手向けたりもする。

「…山科(やましな)の 石田(いはた)の杜(もり)の すめ神(かみ)に 幣(ぬさ:奴左)取り向けて 我れは越え行く 逢坂山(あふさかやま)を」(万3236)。

「佐保過ぎて奈良の手向けに置く幣は妹を目離(か)れず相見しめとぞ」(万300)。

「祓 …ハラヘ ヌサ」(『類聚名義抄』)。

 

◎「ぬし(主)」

「にうし(~に大人)」。「うし(大人)」はその項(2020年5月3日)。「かむにうし(神に大人)→かむぬし」「おほくににうし(大国に大人)→おほくにぬし」といった表現から「ぬし」が独立した名詞になった。「Aにうし(A~に大人)→Aぬし」は、Aの状態で支配的な影響を及ぼしていること・もの(人など)。

「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」(『古事記』)。

「八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)や 吾(あ)が大国主(おほくにぬし:淤富久邇奴斯)」(『古事記』歌謡5)。

「吾(あ)が主(ぬし:農斯)の御魂(みたま)賜(たま)ひて春さらば(春になったら)奈良の都に召上(めさ)げたまはね」(万882:山上憶良の歌。「吾(あ)が主(ぬし)」とは具体的には大伴旅人(たびと:大伴家持の父))。

「縦(たた)さにも かにも横さも 奴(やつこ)とぞ我れはありける主(ぬし:奴之)の殿戸(とのど)に」(万4132:この「主(ぬし)」は敬意をこめた二人称の状態になっている)。

「与三郎 『お主(のし)しゃぁ、おれを見忘れたか』  お富『えええ』  与三郎『しがねぇ恋の情けが仇あだ…』」(「歌舞伎」『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』:「お主(のし)」も二人称なのであるが、侮蔑してはいないが、敬意というほどのものでもない)。

「やぬし(家主)」、「ヂぬし(地主)」、「やとひぬし(雇ひ主)」、「かひぬし(買ひ主)・うりぬし(売り主)」、「かひぬし(飼ひ主)」、「もちぬし(持ち主)」、「おとしぬし(落とし主)」。