たとえば、「てをにききいりゐ(手を、に効き入り居)→手をにぎり」と言った場合、「を」は目的を表現し、「に」は動態の状態を表現し、「きき(効き)」は効果があることを表現し、「~いり(~入り)」はまったくそうなることを表現し、「ゐ(居)」存在動態にあることを表現し、「てをにききいりゐ(手を、に効き入り居)→手をにぎり」すなわち、手を目的とした動態状態たる「ゐ(居)」に、存在状態に、なり得る身体部位は手しかなく、手がそうなるとき、つまり、手が手を目的とした効(き)き・効果を得る努力にある存在状態になるとき、手は自己をとらえ自己としようとし、その指はすべて限界まで内へ(手のひら側へ)折れ力がこめられる。「にぎり」はそうした動態になること。つまり、「てをにききいりゐ(手を、に効き入り居)→手をにぎり」という表現から「にぎり」という動詞は生じているということ。これがさまざまな対象にかんしても言われ、「棒をにぎり」などとも言われる。
「御狩(みかり:人名)、他(ひと)の門(かど)に入(い)り隱(かく)れて、乞(ものこ)ふ者(もの:伊叱夫禮智(いしぶれち:人名)が將(ひき)ゐたる士卒等(いくさのひとども))の過(す)ぐるを待(ま)ちて、手(て)を捲(にぎ)りて遙(はるか)に擊(う)つまねす」(『日本書紀』:遠くから、殴りつけるような仕草をした)。
「…手に平(ひら)める(たいらな)物さはる時に、『われ、物握(にぎ)りたり…』……………燕(つばくらめ)のまりおけるふる(古)糞(くそ)を握(にぎ)り給へるなり」(『竹取物語』)。
「ぢもくのあしたより手をつよくにぎりて、『我はたゞのぶ道長にはまれぬるぞ』といひいりて、物もつゆ參らずうつぶしうつぶし給へる程に、病づきて、七日といふにうせ給ひしに、握り給ひたりけるおよびはあまりつよくてうへにこそ通りていで給へりけれ」(『大鏡』)。
「女、みづからその飯を握りて食はするに」(『古今著聞集』:いわゆるオムスビ・オニギリを作った)。
「証拠をにぎる」(証拠として実証性のあるものやことを自己のものとした)。