「とよここ(豊此処)」。「とよ(豊)」は、想像も及ばないほど、というような意味(→「とよ(豊)」の項)。「ここ(此処)」はその項参照。想像も及ばないここ、とは、そこにいると他の世界へ行くようなところであり、他の世界とは、眠りの世界であり、夢の世界。「とこ(床)」は、基本的に、眠るところ。恒常的な、眠りのために用意されたところを言う。古代にはここで眠り、夢の告げによる神意を尋ねることもした。これを「かむどこ(神床)」という(「爾(ここに)天皇(すめらみこと)愁(うれ)ひ歎(なげ)きたまひて神牀(かむどこ)に坐(ま)しし夜、大物主(おほものぬしの)大神御夢(みいめ)に顯(あら)はれて曰(の)りたまひしく…」(『古事記』))。意味発展的に、そこに他の世界があるような、そこにいると世界が変わるような特別な環境施設となった居住施設内の特定部分域も「とこのま(床の間)」と言われ(この「とこのま(床の間)」の成立には茶室が決定的なほど影響しているでしょう)、客のために屋外に特別に設(しつら)えられた空間施設も「とこ(床)」と言われ、そこで髪を結う商売を「とこや(床屋)」と言い、京都・四条河原において座敷から川上に張り出し設けられた施設は「かはどこ(川床)」と言い、これは「かはゆか(川床)」とも言う。
「嬢子(をとめ)の 床(とこ:登許)の辺(べ)に 我(わ)が置きし つるぎの太刀…」(『古事記』歌謡34)。
「『こよなき御朝寝かな。ゆゑあらむかしとこそ、思ひたまへらるれ』と言へば、(源氏は)起き上がりたまひて、『心やすき独り寝の床にて、ゆるびにけりや。内裏よりか』とのたまへば…」(『源氏物語』)。
「たとひ千経万論を学し得、坐禅、とこをやぶるとも、此の心無くば…」(『正法眼蔵随聞記』)。
「ナント 床ノマ」(『多聞院日記』天文11(1542)年3月21日にある図:これは手書きの間取り図にある記載であり、「ナント」と「床ノマ」が横並びで書かれている。納戸(ナンド)と床(とこ)の間(ま)が同室というのも不自然なものであり、この「ナント」は驚きの表現でしょう。この驚きは、この「とこ(床)」は眠るためのそれを意味し、この「床ノマ」は眠るための専用部屋(あるいは、襖障子などで隔離されたりなどしていないその為の専用域。広さは、図からすれば、畳四枚にはなる。昔の畳は相当に広い)かもしれない。後世の、軸をかけたり花を飾ったりする床(とこ)の間(ま)はここにあるような「床ノマ」だけの発展ではなく、別に、家内に、部屋の一隅に「押(お)し板(いた)」と呼ばれる施設があり、ここに武具を飾るなどしていたことも影響している)。
「數寄之座敷御茶申之。床之小繪 竹墨繪 與可筆 花立 ……等也」(『言継卿記』大永7(1527)年5月18日:部屋の一隅に「とこ(床)」があり、そこの壁に絵がある)。
「…おのが身し いたはしければ 玉桙(たまほこ)の 道の隈廻(くまみ)に 草手折り 柴(しば)取り敷きて 等計自母能 うち臥(こ)い伏して…」(万886:「等計自母能」は、一般に、原本(西本願寺本)の「計」は「許」の誤字であるとして書き変えられ、「とこじもの(床じもの:等許自母能)」と読まれている。「とけじもの(等計自母能)」では意味がわからないから、ということですが、たとえば、多くの人が泳ぐように筏(いかだ)の原材を運んでいる様子が「かもじもの(鴨じもの)水に浮き居て」(万50)と表現された場合、それは人々がまるで鴨のような印象になっているのであり、「床(とこ)じもの臥(こ)い伏し」は、床(とこ)のように伏す、ベッドのように伏す、という表現になり、そうした表現はありえない。では、「とけじもの(等計自母能)」とはどういう意味か。思うに、これは「ときエじもの(解き衣じもの)」ということでしょう。「衣」は『万葉集』では平凡に「え」と読まれていますが、その「エ」が衣(ころも)を意味しているわけです。そうした例は『万葉集』には他にはないでしょうけれど、これは漢語に詳しい山上憶良の歌であり、そうしたことは起こり得る。日本語一般では「エモンかけ(衣紋掛け)」といった語などある。「とけエ(解き衣)」は脱ぎ捨てた衣。それがそこいらにほうりだされたように、草手折り柴(しば)取り敷いたそこに寝ている、ということです。この万886は旅の途上で病を得、死んだ人の歌)。