◎「ときめき(時めき)」(動詞)

「ときめき(時めき)」。「とき(時)」(9月16日)も「めき」(春めき、などの)もその項。「ときめき(時めき)」は、「とき(時)」が自己発生し、そこに意外な驚きがある効果が生じることですが、たとえば、ある人の「とき(時)」が自己発生するとは、その人が「時を得た」(→「とき(時)」)の項)状態になることであり、栄誉を得、周囲からもてはやされる状態になったり、女がそのとき権勢ある者から寵愛を受け、その影響で力や財のある者のようになったりする―。それが歴史における「ときめき」の一般的な意味なのですが、そうなった人が世の人からあこがれの目で見られたりすることの影響もあるのでしょう。この「とき」が心臓の鼓動音の擬音のように用いられ、のちには、「(初恋に)心ときめく」といった言い方がなされるようになり、元来のような用いられ方は「今をときめく」という慣用的な言い方に残るだけの状態になる。

「藤英は宣旨賜はりて……………東宮の学士になされなどして、時めくこと二つなし」(『宇津保物語』:「東宮の学士」は東宮(皇太子)に経書を購読した学者)。

「いづれの御時(おほんとき)にか。女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」(『源氏物語』)。

「直(すぐ)其音が近附いて来た。自分の胸はときめいた」(『初恋』嵯峨之屋御室)。

 

◎「ときめかし(時めかし)」(動詞)

「ときめき(時めき)」の使役型他動表現。「ときめく(時めく)」状態にすること(→「とき(時)」の項)。ただし「ときめき」には心臓の鼓動音を「とき」と表現した「ときめき」もある。

「かく殊なる事なき人を率(ゐ)ておはしてときめかし給ふこそ…」(『源氏物語』)は原意の「時めき」による「時めかし」であるが、デートに気持ちをときめかせたりするのは心臓の鼓動音。

 

◎「ときは(常磐)」

「とほおきは(遠沖き葉)」。「は(葉)」は時間を意味する→「はは(母)」の項。遠い沖の時間とは永遠です。おなじような語で「かきは(堅磐)」(その項)もある。

「常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留(とど)みかねつも」(万805)。

「大皇(おほきみ)は常磐(ときは:等吉波)にまさむ橘(たちばな)の殿(との)の橘(たちばな)ひた照りにして」(万4064)。

「松かせはいつもときはに身にしめと(ど)わきて(とりわけ)さひしきゆふくれのそら」(『山家集』:「ときはの松(まつ)」という表現が多い。「は(時間)」に「は(葉)」がかかり、松は常緑だからです。「ときは」の風が身にしむが、ふとさびしさをおぼえる、という歌)。