「蝶」の音(オン)。古くは「てふ」と書かれる。そうは書かれても、「ち」を書き「よ」を小さく書く表記習慣が無かった時代にそれに近い音(オン)としてそう書かれたということであり、現実の発音は「ちょう」でしょう。昆虫の一種の名。

「ちょう・てふ(蝶)」にかんしては、それは漢字「蝶」の音(オン)であり、その昔日本ではこの虫を何と呼んでいたかが問題になる。「ちょう」や「ちょうちょ」と呼ぶ習慣が広まったが、平凡な虫であり、日本在来の名が無かったとは考えにくい。

蝶の在来名は「はた」ないし「はたはた」でしょう。その羽ばたきを表現する擬態のようなもの。『万葉集』の「2717」にある「世蝶似裳」は「せはたにも」であり、その前句にある「堰(ゐで)越す波」を受けての「瀬(せ)」でもあり、「背(せ)」にも「端(はた)」にも、後ろにも側(そば)にも(会わない)、の意(この部分、一般に、原文(西本願寺本)の「世蝶」が「世染」と書き変えられ「よそめ」と読まれている。誤字であるとして書き変えられているわけであるが、誤字と思った理由は「世蝶」が読めないからということでしょう)。また、蝶を表現する「はた」は神名や枕詞や地名にその痕跡を残しているものと思われます。たとえば、『古事記』において、高千穂の嶺に天下った天照大神の孫神の母神の名「萬幡豊秋津師比賣(よろづはたとよあきづしひめ)」の「はた」は蝶でしょう。「あきづ」は蜻蛉(とんぼ:赤とんぼ)であり、「し」は風の古語。つまりこの神名は、沢山の蝶、沢山の蜻蛉が風の中で大空一杯に舞っている状況の印象から生じたもの。漢字表記は「幡」(のぼり、を意味する)と書かれますが、これは、後世において布切れを(その風になびく音から)「はた」と表現したことによるもの。天孫降臨の神話に布としての旗(はた)のような人工的工芸物が神名として登場するのは不自然に思われます。枕詞の「あをはたの」も、布切れとしての旗(はた)と混濁した用法もあったのかも知れませんが、元来は蝶を意味したものでしょう。『万葉集』にある「青旗乃 木旗能上乎 賀欲布跡羽 目尓者雖視 直尓不相香裳」(あをはたの こはたのうへを かよふとは めにはみれども ただにあはぬかも)、は、単なる枕詞ではなく、現実に遠く青い蝶が飛んでいる様を見ている。この場合「あをはた(青蝶)」は(蝶の一種たる)大紫(おほむらさき)でしょう。「こはた(木旗)」は地名のようですが、これも木の蝶という意味であり、「大紫(おほむらさき)」でしょう。大紫は榎(えのき)に生息する。蝶、とりわけ大紫は、その色彩や風に舞う様から、霊の世界を、すなわち死の世界を、感じさせた(前記の歌は挽歌)。死の世界といっても、それは、仏教的な地獄(これは浄土信仰とともに平安時代に生じた)のごとく、恐ろしいものではなく、それは、忌むべき世界ではあっても懐かしい死者たちがいる懐かしい世界でもあり、生きている者には行くことのできない霊の世界、触れることのできない忌みの世界です。つまり、蝶に霊魂を感じた。そうした事情が、古代において、蝶の歌を歌うことを微妙に避けさせたのでしょう(『万葉集』には蝶の歌は一つも無いと言われる。しかし、上記の歌は蝶が歌われているわけであるから、少なくとも一つはある)。蝶の歌に忌みが生じたのです。これは「はた」という言葉が忘れられ「チョウ」という外来語が広まり定着していった理由の一つでもあるでしょう。古代の日本には、花に戯れる蝶を楽しげに歌う習慣は無かった。「庭には新しき蝶舞ひ」という『万葉集』の歌(815以下)の序文にあるような表現はあくまでも漢詩の影響による中国的な表現だった。地名における「はた(蝶)」の現れとしては、「飛幡(とはた)の浦」の「はた」は蝶でしょう。ただし、とりわけ地名に関しては、その「はた」が蝶なのか布切れとしてのそれなのかは判然としない。