「つへ(つ経)」と「とへ(と経)」がある。

「つへ」は、「つ」により動態に同動が生じ(→「つれ(連れ)」・8月5日)、生じた状態で(「へ(経)」により)経過していることが表現される。

「とへ」は、「と」で対象的に何かが思念化し(→「と(助)」の項)、思念的に対象化され確認された状態で経過していることが表現される。「さて」、「かくて」、「などて(なに(何)とて)」などの場合、は「とへ」。「さ」「かく」「など」が思念化し経過する。「へ(経)」による経過が形容態の場合、という状態で、のような意味になる→「木高くて里はあれど」、「(竹の中にかぐや姫が)いとうつくしうて居たり」。否定表現につく「~ずて」(~ない状態で)という表現もある。この「て」も「とへ」。「…降る雪を見ずてや妹(いも)が籠もり居(を)るらむ」(万4439)。

「春過ぎて夏来(きた)るらし」、「やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて…」、「見かねてそう言ふ」、などの「て」は「つへ」。「春過ぎ」や「やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかり」や「見かね」が同動し経過する。動態が推想的である場合、動態に仮定的な印象が生じることがある(この「つ」は未来完了の状態になる→「つ(助動)」の項)→「そんな所へ行って(行きて)どうするんだ」。「もしかして」。「~てむ」「~てまし」という表現もある。推量や意思的表現と「て」が重なっているわけですが、これらも「つへ」であり動態の同動とその経過により推量している内容や意思的内容の確か感が増して表現されている。しかし、「て」を除きこれらをただ推量的・意思的に表現し、「言ひてむ」を「言はむ」に、「言ひてまし」を「言はまし」に、言い換えてもさほど決定的に意味が変わるわけではない。「~てけり」「~てけむ」という表現もある。これらはその「て」により装飾的に動態の経過が加わり動態の影響感が増しますが、それがなく「~けり」「~けむ」でもさほど意味が変わるわけではない。

動詞に「て(つへ)」がつく場合、その「て」が助詞なのか助動詞(完了の助動詞「つ」の変化・連用形)なのかは、国語学者の品詞分類欲は刺激したとしても、言語表現行為においてはとりたてて意味もなく影響もない。一般的に、どういう場合に助動詞と言われ、どういう場合に助詞と言われるのかというと。たとえば、「見てましものを」の場合、「て」は動詞として品詞分類される「み(見)」と助動詞として分類される「まし」にはさまれ、いかにも動詞についている印象があるので助動詞と言われる。「みんな心を合わせてがんばりました」の場合、「て」は前の文章と後ろの文章をつないでいる印象があるので助詞と言われる。